日本のPCプラットフォームに何が起きたのか?
プレイヤー紹介
- 過去には多様なコンピュータープラットフォームが存在していた
- 北米ではIBM PC/Macの複占に早くから落ち着いたが、ヨーロッパと日本には多様なコンピューターが存在していた
- 16ビットコンピューター時代の主要な日本のプラットフォーム: NECのPC-98、FujitsuのFM Towns、SharpのX68000
転換期のPC-98
- DOSはハードウェアと直接やり取りする薄いオペレーティングシステムだった
- PC-98とFM TownsはDOSベースのオペレーティングシステムを使っていたが、IBM PCとは互換性がなかった
- NECとMicrosoftはPC-98にWindowsを移植した
- Windows 95の発売後、ソフトウェア互換性が生まれ、PC-98とIBM PCの区別が曖昧になった
- NECはIBM互換PCの生産も始めた
- PC-98は徐々に姿を消し、他のシステムと統合された
FM Towns
- FM TownsはGUIベースのオペレーティングシステムであるTowns OSを使っていたが、Windows 3や95に比べて未成熟だった
- FujitsuとMicrosoftはFM TownsにWindowsを移植した
- FM Townsは次第にWindows PCへと置き換えられた
CPU戦争で敗れたX68000
- X68000はMotorolaの68000シリーズCPUを使っていた
- Windowsを移植できず、競争で後れを取った
- SharpはWindows PCへ移行したが、既存ユーザーを連れてくる方法がなかった
マルチタスクの誘惑
- Windowsのマルチタスク機能が市場統合を促進した
- 複数のプログラムを同時に使える機能が重要になった
- Windows 95はソフトウェア基盤が大きく、競争が難しかった
- NECとFujitsuはWindowsを導入し、ユーザーに提供した
ゲーム市場の変化
- 16ビット時代にFM TownsとX68000は強力な2Dゲームハードウェアを備えていた
- 32ビットコンソールの登場で競争力が弱まった
- SonyのPlayStationマーケティングは成人ゲーマーをターゲットにし、コンピューターゲーマーがコンソールへ移るようになった
8ビットプラットフォームは?
- 日本の8ビットコンピュータープラットフォームは16ビットコンピューターに置き換えられた
- MSXは16ビットへの進化を果たせず、ユーザーはWindows PCへ移った
結論
- 16ビット時代の日本のコンピューターメーカーは標準的なWindows PCを作り始めた
- Microsoftが市場を掌握したが、各社は生き残った
GN⁺のまとめ
- 日本の16ビットコンピュータープラットフォームは、Windowsの登場とともに徐々に姿を消した
- NECとFujitsuはWindows PCへ移行して生き残った
- マルチタスク機能が市場統合を促進した
- ゲーム市場の変化とSonyのマーケティングにより、コンピューターゲーマーはコンソールへ移った
- MSXのような8ビットプラットフォームは16ビットへの進化を果たせず、ユーザーはWindows PCへ移った
1件のコメント
Hacker Newsのコメント
SuperHプロセッサは、1990年代後半にHitachiが開発した日本設計のハイブリッドRISCプロセッサである
Hitachi PeachはApple IIを思わせる6809マシンで、Microsoft Basicと独自OSを使用していた
日本のPCは西洋市場と異なり、複雑な文字体系のため、より大きなROM、高解像度ディスプレイ、複雑なキーボードシステムが必要だった
日本市場は分断されており、ソフトウェア移植コストが高かった
ToshibaのノートPCは2012〜14年の間に市場から姿を消した
日本旅行中にFM TownsやFM Towns Martyを探そうとしたが、見つけるのが難しかった
1990年代後半の台湾ではPE2エディタが非常に人気だった
DOSは2024年のOSよりはるかに薄いOSだった
MSXは日本で日本語文字セットを備えていた
西洋の多くのPCプラットフォームはMicrosoftやAppleに押されて消えていった
1994年には32ビットコンソールが登場し、2Dゲームと3Dゲームをよりうまく処理できるようになった