AIは私たちを「接着剤」にしつつある
(lincoln.swaine-moore.is)- AIツールが開発者の中核業務の一部を代替しつつあり、人間は「問題解決者」から「つなぎ役」へと押しやられている
- 「バイブコーディング」のように、AIが実装を担い、人間はアイデアだけを提示する未来が語られているが、現実はまだ複雑だ
- 開発者はAIの目や手となって、不具合を見つけたり設定をいじったりする「配管工」的役割に落ち込む可能性がある
- 時間がたてば、それすらAIに奪われ、人間は物理世界とAIをつなぐ「糊の役割」へと縮小する可能性がある
- 創造性と自律性を失った人間の労働が、「glue(糊)」のような存在に成り下がる未来への不安と懐疑をつづった文章
たぶん、そういう形にはならない
AGIを恐れずに愛する方法を学ぼうとしているけれど、正直かなり暗い気分だ。
私はソフトウェアを作る仕事をしていて、今この時点で、私の知るほとんどすべての人たちと同じようにLLMを活用して作業速度を上げている。
昨日o3が公開され、さっそく複雑なバグを解決するのに大いに役立った。
以前なら何度も試行錯誤していたはずの問題だったのに、ずっと少ない迷いで解決できた。
見た目には良いことだ。では何が問題なのか。
問題は、私はそういう複雑なバグを解くのが好きだということだ。
それはパズルのようで、掘り下げていくと普段は見えにくいコンピュータの部分を学べる。
リファクタリングも同じだ。うまくできているときは、自分のシステムの形をより深く理解し、それを構造として磨き上げていく過程だからだ。
そうした問題を解くことは、脳がむずむずするような楽しい刺激だ。
仕事の中でいちばんやりがいのある部分かどうかは分からないが、いちばん好きな部分であることは確かだ。
まだその段階に達したわけではないが、流れはすでに決まっている。
かなり控えめに見積もっても、10年以内には、ほとんどの「具体的な問題について深く考える」仕事は、コンピュータのほうが私よりうまくこなすようになるだろう。
この仕事からある役割を切り取ると、残るのは互いにほとんど接していない二つの塊だ。
船を操る人と、配管をつなぐ人だ(比喩が混ざっているのはご容赦を)。
AIに期待を寄せる人たちの話を聞くと、例外なく前者になることに胸を躍らせている。
「バイブコーディング」[1]という概念が約束するのはこうだ。仕事の最上位レイヤー、つまり感覚、アイデア、デザイン、哲学のようなものだけを気にしていればよく、あとのことはマシンが勝手にやってくれるというわけだ。
そうなれば人間は、人間にしかできないことに集中できるという理屈である。
私にもいくつかアイデアはあるし、正直に言えば、そういう世界も悪くないかもしれないと思うことはある。[2]
だが私の経験では、それは複雑な現実の半分ほどしか語っていない。
たとえばこうだ。私が何らかのエージェントをツールと組み合わせて使っていても、システムに見えない問題は結局人間が見ることになる。
Webアプリケーションを作っているとしよう。Claude Codeが私の指示どおりにスタイルを書いてくれた。
だが、それが実際のブラウザでどう見えるかを確認するのは結局私だ。
そして案の定、何かがおかしい。CSSとはそういうものだからだ。
しかもそのスタイルを自分で書いたわけではないので見慣れておらず、いちばん簡単な解決策は、またClaudeに持ち帰って回してみることだけになる。
再度依頼し、再度修正する。バグレポートを書くのは、バグを直すよりずっと面白くない。
結局私は、Claudeが私のコンピュータを見回るために必要な**「目」**の役割をするだけになる。
もちろん、こう反論する人もいるだろう。「そんなサイバー配管工の役割は、じきに消える」と。
その通りだ。最前線の研究所は今もコンピュータ全体を操作できるエージェントを開発中なのだから。
そうなれば、ブラウザタブを開いて画面を確認するくらい、彼らは私と同じくらいうまくできるようになるだろう。
ただ、今のところAIの空間推論能力はひどいものなので、正直に言えば、今はまだ少しだけ安全圏の堀(moat)[3]があるように感じる。
それでも、配管作業はしばらく残るだろう。
たとえば、ログをあるプラットフォームから別の側へ流すパイプラインを構成したり、
ストレージバケットのアクセス方針を設定して、エージェントが正しくファイルを書き込めるようにしたりする仕事だ。
こうした作業は雇用の安定には役立つが、正直言ってあまり好きではない。
むしろプロジェクトの核となるアイデアについて考えていたいのであって、n番目のクラウドサービスの2FAコードを探し回りたいわけではない。
だが今後は、この時間でさえも「糊のような仕事」と比べられ、正当化しにくくなっていくだろう。
良い(……そうだろうか?)知らせは、こうした役割すら、ほどなくAIに渡るだろうということだ。
その時が来れば、私はAIと現実世界[4]のあいだをつなぐ連結部のような存在になる気がする。
しばらくのあいだは、ハードウェアプロジェクトをやるなら、ジャンパーワイヤをブレッドボードにつないだり、アンテナをいじったりするのはまだ私の仕事だろう。
私はこうした手作業が好きだ。 だが、コンピュータがゲーム全体の設計図を把握している状況なら……それは少し面白みが薄れる。
運が良ければ、**私は船の「アイデア船長」**の役を担えるかもしれない。
だが船がどこへ向かうべきかをAIに尋ねなければならない船長なら、その役割も長くは続かないだろう。
そして正直に言えば、誰もがそれぞれ自分の船の船長になって生計を立てられるとは思わない。
その先に何が起こるのか、私にはまったく分からない。
存在論的リスクはひとまず脇に置くとしても、多くの仕事が消えるのは確かに見える。
楽観的なシナリオでは、私たちは今は想像もできない新しい仕事を生み出し、
それを通じて人々はこれまで以上に自己実現できるようになる、ということになる。
だが超知能がコモディティとして普及した世界で、
その新しい仕事が結局**「糊のようにただつなぐだけの仕事」**に見えてしまうのではないかと、私はそれが心配だ。
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余談だが、「バイブコーディング(vibe coding)」という表現にはどこか引っかかるものがある。
だが、すでにWikipediaの記事まであるのを見ると、もう業界用語として定着しているらしい。 -
このやり方の利点は、わざわざ説明するまでもなく明らかだ。
以前なら想像もできなかったものを作っている人が、今は本当にたくさんいる。 -
正直に言えば、私は「矢印をつなぐこと」が自分の専門能力だと思ったことはない。
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もう少し一般的に言えば、画面の中の知能に比べてロボティクスの進歩は相対的に遅いため、
しばらくのあいだは、人間の「身体を持つ存在であること」が機械に対する主要な優位として残るだろう。
文字どおりの配管工は(皮肉なことに、彼らの仕事は前述の「デジタル配管」よりも、むしろバグ修正に近いように思えるが)、
まだしばらくは大丈夫だろうし、ほかの技能職も同様だ。
そして、ある仕事が「接着剤の役割」になったとしても、私が描いたように必ずしも無意味に感じられるとは限らない。
たとえば、弁護士は判決文の主たる著者ではなく、それを陪審員に伝える役割へと変わるかもしれないし、
医師は診断能力よりも、患者への接し方や共感能力のほうが重要になるかもしれない。
(創作活動についてはここで長々とは語らないが、おそらく最大の恩恵と最大の苦痛を同時に受ける分野だと思う。)
7件のコメント
おそらく今のAIは、完成度が10%程度だと思います。
通常、特異点を超えると一気に70%以上を満たすケースを多く見てきましたが、そうなれば多くの職業がなくなる可能性はあるものの、処理コストを見たときに人間のほうが安ければ、残る職業も多いように思います。
本当に難しいですね..
パンチカードを使おうと主張する方がいるかも..
そういう話ではない気がしますね(笑)
ははははは
Hacker Newsのコメント
この記事は本当に面白く読んだ
どうしてこういう記事はいつも「LLMを使って仕事をより早く終えた」と言いながら、その一方でLLMがより多くの時間と費用をかけてより悪い結果を出すと説明するのか分からない
「接着剤」というコメントは、主にソフトウェアの仕事をしている人の視点を反映している
AIがソフトウェアエンジニアの仕事を奪う可能性は低い
「複雑なバグを直すのが好きだ」
自分は違う体験をしている
それでも、このすべてについてかなり悲観的だ
Stanislaw Lemの話がある
複雑なバグを楽しみで直すことを妨げるものは何もない
よく書かれた文章だ
生産ラインには多くの工程があり、ドリルビットが折れたり、レンズにほこりが付いたり、消耗品が切れたりすると停止する
例外の自動化は難しく、工場設計は例外を最小化し、詰まったセルを迂回することに重点を置いている
ソフトウェア開発がどのように変化しているかを見るとき、工場の動き方を理解することは役に立つ
"vibe coding" という表現は2か月前に生まれた
2年後にはどれほど広く普及しているのか気になる
<- この部分の比喩、本当に見事ですね。感嘆しました。