- ビル・アトキンソンが40年前に Apple Computer に加わった経験を振り返る
- Steve Jobs の説得とビジョンが人生の大きな転機となった
- UCSD Pascal System の導入、QuickDraw、Lisa Window Manager など革新的なソフトウェア開発に貢献した
- MacPaint と HyperCard によって、ユーザーの創造性を広げるツールを提供した
- Apple での12年間は人生を決定づける貴重な時間だった
Apple Computer への参加と始まり
- 40年前の1978年4月27日に Apple Computer に入社した経験は、人生の大きな転機だった
- 当時は University of Washington で神経科学の博士課程に在籍しており、Jef Raskin の勧めで Apple を訪れることになった
- 当初は学位取得に集中したかったが、Jef Raskin が航空券まで送って説得し、カリフォルニアを訪れることになった
Steve Jobs との出会い
- Steve Jobs は丸一日時間を取り、Apple の全社員に紹介してくれ、自ら情熱的に採用しようとした
- Apple の社員たちは 知的で情熱的 に見えたが、最初はそれだけで博士課程を捨てようとは思わなかった
- Steve Jobs は、世に知られている新技術はすでに2年前のものだと言い、Apple で未来を創り出せる機会 を強調した
- 波の先頭で楽しくサーフィンするという比喩に強く心を動かされ、最終的に博士課程を辞めて Apple に入社することになった
- 家族の反対にもかかわらず、それが正しい選択だという確信があった
Apple での主な経験
- Steve Jobs とは Castle Rock State Park を散歩したり、食事をしながら人生やデザインについて議論したりする親しい関係になった
- ときには「クレイジーなアイデアがあるんだけど…」で始まる会話が、実際に製品設計へと発展することもあった
- Steve の支援は、会社で意味のある成果を生み出すうえで大きな力になった
革新的なソフトウェア開発 (UCSD Pascal, QuickDraw など)
- UCSD Pascal System を Apple II に移植したいと考えたが、管理職は反対した
- Steve Jobs に直接強く訴え、2週間で Pascal システムを実装して Lisa 開発の基盤を築いた
- Lisa コンピュータには必ず マウス を標準で同梱すべきだと主張し、最終的に採用された
- グラフィック効果のために画面の背景を白にすべきだという主張も通った
- QuickDraw のグラフィック基本関数をアセンブリ言語で書き、bitmap ベースの GUI を現実的なものにした
Lisa, Macintosh と MacPaint, HyperCard
- Lisa Window Manager, Event Manager, Menu Manager など主要なソフトウェア管理機能を開発し、アンディ・ハーツフェルドがそれを Mac に応用した
- Macintosh ROM の3分の2のコードは自身の貢献によるものだった
- MacPaint を開発し、グラフィックとマウスの楽しさ、そして創造的な可能性をユーザーに示した
- 1983年の Norman Seeff の写真には、Steve Jobs とのダイナミックな関係が表れている
- Steve Jobs が自分を利用したと言う人もいるが、実際には動機づけと創造性の発揮を導いたリーダーだったと評価している
- Apple で作った製品が何百万人にも使われることに、大きな興奮と価値、やりがいを感じた
HyperCard と Apple 以後
- 1985年の LSD 体験から着想を得て HyperCard オーサリングシステムを考案し、プログラマーでなくてもインタラクティブメディアを作れるようにした
- HyperTalk 言語は、初心者プログラマーでも簡単に イベント駆動プログラミング に入門できる構造だった
- Steve Jobs の Next 参加提案を断り、HyperCard の完成に没頭し、1987年に Apple が HyperCard を発表した
- Apple で12年間にわたり創造的なツールを開発し、社員30人から15,000人へと成長する歩みに加わった
- 1990年には General Magic を共同創業してパーソナルコミュニケーター開発に参加し、Apple での時間が人生のターニングポイントになった
- Jef Raskin と Steve Jobs の信頼と機会の提供に深く感謝している
結び
- 40年前に Apple で下した決断は、人生のすべてを変える結果をもたらした
- 意識の研究にも今なお関心はあるが、Apple で世界に前向きな影響を与えられたことに大きな満足を感じている
1件のコメント
Hacker Newsのコメント
Appleを離れ、Marc Porat、Andy HertzfeldとともにGeneral Magicを共同創業し、パーソナル通信機器の発明を後押ししたという経験がある
大きなイノベーション企業の創業者たちの多くが互いにつながった背景を持ち、しかも権力や富を持つ人々とどう結びついているのかは、いつも興味深く感じる
たとえばMarc Poratという名前に聞き覚えがあって調べてみたら、Googleの社長であるRuth Poratの兄だった
リーダーが組織で頂点に上りつめるのに、本当に才能が重要なのか、それとも強力な人脈も一役買っているのか気になる
自分も優れたアイデアと才能で製品を作ってきたが、資金確保にはいつも苦労してきた
こうしたネットワークを知る人たちが自分にもいてくれたらと思う
スーパースターが1人だけで成功するのは難しく、結局は周囲に別のスーパースターたちがいてこそ本当のシナジーが生まれる
彼らは互いを知っているから、成功もしやすい
そして世に出なかった無数の失敗者たちは、ほとんど記憶されない
数多くの有望な人材を結びつけることこそ、こうした成功した企業や名門大学の重要な役割だ
20世紀の天才たちが一堂に会した写真のように、先を行く先駆者の上に新たな先駆者が積み重なり、集団で頂上まで登っていく
何シーズンにもわたって活躍する名門スポーツチームのような感じだ
偶然ではなく必然のつながり
General Magicのドキュメンタリー(2018)は本当に驚くべき作品なのに、過小評価されている
観るたびに涙がにじむほど感動的な、昔ながらのスタートアップ成功譚だ
サウンドトラックも美しい
資本や他人の才能、あるいは市場(ユーザー)に届くアクセスこそが、本人に優れた製品を作る実力があったとしても最大の競争力になる
そうした資源を握れれば成功可能性は最大化する
本当に良い文章だと思う
昔は何でも可能で開かれているような感覚、わくわくする自由さがあった
それほど大したことでなくても何でもできた時代が懐かしい
今は広告に占領された閉じた箱のように感じる
ログインして制限された空間の中でしか生きられない現実だ
それでもインターネット本来の姿はまだ残っていて、広告のない自分のサイトを今でも公開できる
そんなインターネットだけに乗れたらいいのにと思う
自分はこの物語の主人公たちが活動していた時期と年齢が近いが、まったく逆に感じている
中高生のころは「2000年代はスマートフォンとインターネットでとてつもない機会が開かれた時代で、何でも可能だったように見えるが、今は巨大企業がすべてを支配している気がする」と思っていた
だがGenAIブームがその考えを完全に変えた
今こそ、やる気さえあれば想像を超えるプロジェクトが可能な、あらゆる世代の中でも最も幸運なエンジニア世代だ
https://kagi.com/smallweb
小さく自由なWebについてのリンク
「自分もそんなインターネットだけに乗れたらいいのに」という言葉を読んで、何かに気づかされた
ずっと90s.devをどう使うか考えていたが、答えがわかった気がする
HyperCardのような革新にはいつも感嘆する
非技術者にも「王様の鍵」を渡そうという意図が込められていた
今のような閉鎖的なApp Storeやプラットフォームばかり見ていると、時代がむしろ後退したように感じる
HyperCardやMacPaint(実際にはQuickdrawのデモ)をたった一つでも作っていたなら、もうそれだけで天才の域だ
その革新性に拍手を送りたい
たぶん私たちは、もう少しLSDをやる必要があるのだろう、という冗談
コンピューティングそのものを資本主義や消費主義の枠組みから切り離すのは、今なお非常に難しい
人類のほかの創造的な芸術(詩、演劇、音楽、美術など)は、さまざまな時代や文化、経済構造の中で自生してきた
しかしコンピューティングは、常に巨大な工場やサプライチェーン、そして消費者大衆といった産業化の産物だった
チップ工場を支配する企業が、結局はすべてを決める
Appleはその最も典型的な例だ
オープンソース運動のような例外的な動きはあるが、チップ工場の支配力の前では簡単ではない
こうした傾向に対抗して戦う運動が、まさに今必要だ
たとえばuxnのような軽量仮想マシン上で、過去の安価で単純なチップを最大限活用してソフトウェアを開発するアプローチが好きだ
こういう環境は100年後にも残るだろう
皮肉なことに、Appleはこうした閉鎖的傾向を主導した代表格でもある
強く共感する
Appleで12年あまりしか働いていなかったとは意外だ
きっと劇的な旅路だったに違いない
自分も1995年にシリコンバレーへ引っ越してきたが、住んでいたアパートはGeneral Magicのすぐ隣だった(Mary Ave.)
当時はAppleのスピンオフくらいにしか思っておらず、あれほどすごい人材が集まっていた場所だとは知らなかった
ウサギの帽子が描かれたロゴが灯っている、かわいらしいオフィスとして記憶している
1985年のLSD体験から着想を得てHyperCardオーサリングシステムを作ったというくだりが印象的だった
ビートルズのLSD体験や、Robert Crumbの代表的なキャラクター創造も思い出した
LSDが人の脳を永久に変えるという話もよく耳にする
ビートルズやCrumbのように、向精神薬の体験がなければ大作芸術は生まれないのでは、と考えたこともあるが、LSDが「発明」される以前にもEdvard Munch、TS Eliot、William Blakeのような偉大な芸術家は多かったので、断定は難しい
自分も大学のときに一度やってみたが、それで十分だった記憶がある
伝統的には、幻覚剤の使用には事前準備、マインドセット、環境、そしてシラフのシッターが必要だ
LSDは脳を永久には変えず、むしろpsilocybinのほうがそうした効果を示す
生存者バイアスかもしれない
タバコも多くの天才が楽しんでいたが、たくさん吸えば天才が生まれるわけではない
こうした薬物使用は非常に古い営みだ
ソーマなど、人類文明や芸術、宗教の歴史の中にも現れる
「心を広げるLSD体験から着想を得てHyperCardを作った」という言葉も印象的だった
どうすれば良い体験と良くない体験の違いが生まれるのか気になる
本当に伝説的な人物だ
高校生のころ、初めてMacに触れたときにとてつもない楽しさを感じた
何日もコンピュータの中に完全に没頭して過ごしたこともあった
Billに感謝
自分も同じ感覚だ
この感覚をどう取り戻せるのか、どう人と共有できるのかをずっと考えている
方法はきっとどこかにあるはずだ
自分の場合は、たぶんMacPaintだったと思う
「私は12年間Appleで、創造的な人々のための道具を作っていた」という一節は、多くの人にAppleへのファン心理、そしてコンピューティング産業そのものへの高揚感を与えた
長い間、それがAppleのアイデンティティだったと思う
だが今日でもその哲学が残っているかどうかについては、意見が分かれそうだ
最近、「ライトモード」の元祖は誰なのかと考えていたが、ここに起源があった
Apple IIは黒地に白文字だったが、グラフィックスのために紙のような白い背景を主張した
写真画像までネガで出力されるのは困るからだ
Lisaのハードウェアチームは、この方式だと残像が出て、より高価なRAMが必要になると反対したが、Steveはグラフィックスのために最終的に白背景を選んだ
これは読みやすい画面という「罪」にすぎない
ライトモードが悪いことばかりではない、という見方だ
本当の問題は、両方を提供することだ
まるで自分の死亡記事を自分で書いたような文章だ
実際、私たちは誰でもいずれ死ぬ
興味深い人生の物語は広く共有されるべきだと思う
年を取るにつれて、自分もこういう視点の話をよくするようになった気がする
自然な流れだ