10 ポイント 投稿者 GN⁺ 2025-10-28 | 1件のコメント | WhatsAppで共有
  • 82歳のKen Thompsonが、Unixオペレーティングシステム誕生初期とBell Labs時代の自由な実験文化を回想
  • 彼はMulticsプロジェクト失敗後に残ったコンピュータを活用し、偶然Unixの中核構造を築くことになった過程を説明
  • Unix開発チームはPDP-11を確保して非公式にオペレーティングシステムを発展させ、内輪のユーモアと仲間意識に満ちた「Unix Room」を形作った
  • Bell Labsの開放的な環境は、C言語とUnixの成長、そしてその後のGo言語開発へと続く協業文化の土台となった
  • ThompsonはUnixが**「オープンソース以前の開放性」を実践した共同体的実験**だったと強調し、その精神が現代の技術文化にも残っていると評価

Unixの誕生とBell Labsの実験文化

  • Ken Thompsonは1960年代半ばにBell LabsでMulticsプロジェクトに参加していたが、システムは「大きく、遅く、高価で、失敗が運命づけられていたプロジェクト」だったと振り返る
    • Multics終了後、残された大型コンピュータを使って自身の実験を続け、データ保存装置CRAMとドラムメモリの改良を試みた
    • メモリ読み出し速度を高める実験の最中に、本人も気づかないうちにオペレーティングシステムの形を備えたシステムを作り上げていた
  • 彼はBell Labsから「オペレーティングシステム研究を中止せよ」という指示が出ていたにもかかわらず、非公式にUnixの基礎を完成させた
    • ファイルシステム、ディスクドライバ、I/Oデバイスなど主要構成要素を備えた初期Unixが誕生した

初期UnixコミュニティとPDP-11の登場

  • Unixの最初の利用者はDennis Ritchie、Doug McIlroy、Robert Morris、Brian Kernighanらで、ユーザーIDが1桁の数字だったほど小規模だった
    • ThompsonはRudd Canadayとともに黒板の上でファイルシステム設計を進め、Bell Labsの電話録音システムを使って文書化した
  • Joe OssannaはBell Labsの官僚的手続きを迂回してPDP-11コンピュータを確保し、Unix開発の転機を作った
    • 名目上は「ワードプロセッシング用」として購入されたPDP-11が、実際にはUnix開発の中核機材として使われた
    • 特許部門の秘書たちがUnixシステムで文書を作成し、最初の外部ユーザー層が形成された

「Unix Room」と自由な共同体

  • PDP-11はBell Labsの6階の一角に設置され、ここはやがて**「Unix Room」と呼ばれる開発者たちの中心地**へと発展した
    • 古い自販機と倉庫を片づけた空間に2台目のPDP-11が追加され、ネットワーキングや文書組版の議論の中心地へと変貌した
    • 電話線がつながった独自のPBXシステムまで備える非公式の研究ハブとして機能した
  • Thompsonは「Unix Roomで鍵をこじ開けたりいたずらをしたりしていた時代」を回想する
    • 駐車違反で取り付けられた「ブート」を盗んで隠すなど、ユーモアと反骨心が共存した実験的な雰囲気を描写
    • セキュリティ責任者が「ブーツを返してくれれば秘書たちを困らせない」と持ちかけ、交渉で決着した逸話を紹介
  • Dennis RitchieはUnixを「共同体が形成されうるシステム」と表現し、**定期的な『Unix Lunch』**がアイデア交流の場となった

Bell Labsの開放性とUnixの成長

  • Thompsonはプレッシャーのない研究環境と自律性がUnixとC言語の成功を導いたと評価する
    • Bell Labsは「何でも試せる雰囲気」であり、多様な専攻の人々が協力していた
  • 言語学者Lee McMahonは機械可読辞書とFederalist Papersの電子版を確保し、Unix開発に貢献した
    • テキストがエディタ ed に入らなかったため、Thompsonはパターン検索ツール grep を開発した
  • UnixはBell Labs内部で事務業務や電話交換システムなどへ広がり、組織全体の中核インフラとして定着した

オープンソース以前の開放の哲学

  • ThompsonはRichard Stallmanがオープンソースの哲学を発展させたが、Unixにもその精神はあったと述べる
    • 当時のUnixにはファイル保護機能があったものの、実際にはすべてのソースコードが誰でも修正できる状態に保たれていた
    • 「手を入れたらそれは君のものだ」という暗黙のルールの下、共同創作と実験が日常化した開発文化が形成された
  • 同僚P. J. Plaugerのディレクトリに保存された小説の草稿を皆が読んで意見を残していたという話は、協業と開放性を象徴する逸話として紹介される
    • こうした文化が**『黒板に一緒に書く』共同体的な開発スタイル**を生み出した
  • その後、Bell LabsのPlan 9プロジェクトから生まれたアイデアの一部がUTF-8標準へと発展し、現代Webの土台となった

Bell Labs後の歩みとGo言語

  • Thompsonは2000年のBellシステム解体後、Bell Labsを去るにあたって変化した組織文化に言及した
    • 「自分が何をしているのか正当化しなければならない雰囲気」になり、研究の自由が失われたと評価した
  • その後、ネットワーク機器会社Entrisphereで6年間勤務した後、Googleへ転職した
    • 当時Entrisphereの上司がGoogleへ移り、Thompsonを誘ったほか、Eric SchmidtがBell Labs時代の同僚だった
  • GoogleではAndroidのセキュリティレビューに参加した後、Rob PikeとともにGo言語開発チームを立ち上げた
    • Bell Labs時代の協業関係が30年後に新しいプログラミング言語の創造へつながった事例と評価される

結論: 好奇心と共同体が生んだ技術遺産

  • Ken Thompsonの回想は、Unixが単なる技術ではなく自由な探究と共同体精神の産物であることを示している
  • Bell Labsの開放的な環境は、現代オープンソース文化の原型として機能した
  • 彼の経験は、創造性と協業が技術革新の中核的原動力であることを改めて思い起こさせる事例として残る

1件のコメント

 
GN⁺ 2025-10-28
Hacker Newsのコメント
  • 多くの成功したソフトウェアプロジェクトに共通していた、創造的な協業と高い信頼の精神が印象的
    こうした文化は、MBA的な発想や大企業の官僚的な環境とは正反対にある
    Unix、GNU、Linux、初期のPython、そして初期のRockstar Gamesのような事例が思い浮かぶ

    • 「高い信頼」がある社会やプロジェクト、会社では、多くの問題が自然に消えていく
    • 大企業で長く働いた後に小さな会社へ移った経験から言うと、信頼に基づく環境でなければ本当に何も成し遂げにくい
      官僚主義がやがてすべてをむしばみ、管理職は壁を作り、秘密主義によって信頼を損なう
      新しく入った人はシステムを理解することすら難しく、新しいアイデアは始まる前に死んでしまう
      大きな組織でも金を稼ぐことはできるが、変化を生み出したいなら信頼は不可欠
    • Bell Telephone独占時代のMa Bellも巨大企業ではあったが、当時は資金が潤沢で、投機的な研究プロジェクトを支援する余裕があった
      今のVCが資金をばらまく様子に近い雰囲気だった
    • ここにKen OlsenのDECとSun Microsystemsも加えたい
    • Rockstar Gamesがこのリストに入っているのは意外で、その理由が気になる
  • 初期のUnixユーザーが特許秘書や事務職のスタッフだったという点が興味深い
    人々が自発的に好んで使い始めたシステムだったので、現実的なプレッシャーが生まれ、それが健全な方向に働いた
    実験的なアイデアを試すにしても、実際のユーザーが毎日使うシステムを壊すわけにはいかなかった
    Linuxが「ただの趣味」として始まったように、初期のUnixも壮大なビジョンというより、役に立つ道具を作ろうとする実験から出発していた
    もちろんBell Labsという環境が大きな利点を与えていた

  • 盗まれた安全靴事件が興味深かった
    公式な手続きではなく、警備員との直接交渉で解決した点が印象的だった

  • ThompsonがRudd Canadayと一緒に黒板でUnixファイルシステムを設計し、Bell Labsの口述電話サービスを利用したという逸話がすばらしい
    今では一般の人でも音声認識サービスを気軽に使えるが、当時としては本当に革新的だった
    もちろん当時はAIではなく秘書が書き取っていたのだろうが、Bell Labsの技術力を考えると、まったく不可能というわけでもなかった気がする

    • 私は文章よりも話しながらのほうが考えがまとまりやすいタイプだ
      文章を書くと何度も直したくなって、かえって邪魔になる
  • 初期のツールが、mesgやtalkのようにコミュニティ形成を念頭に置いて設計されていた点が興味深い
    半ば開かれた構造のおかげで、他人のホームディレクトリに入ってファイルを見ることもできた

    • ただしそれはUnixではなく、ITS (Information Timesharing System) の哲学だ
      ITSには権限制限がなく協業を奨励していたが、Unixサーバーの多くはホームディレクトリを0700で閉じていた
    • 「他人のオフィスに入って机をあさる感じ」という比喩が絶妙だ
  • Kenとdmrが一緒に立っている写真のキャプションに、「共同体が形成できるシステムを作りたかった」という文句がある
    これはPerlのソースファイル先頭にある『指輪物語』の引用を思い出させる
    関連コードはGitHubリンクで見られる

  • KenがGo言語に貢献した部分は、Gitリポジトリですべて確認できる
    ネタバレはしないが、かなり面白いコードがある

  • 1981年のハードコア・パンクのアルバム This is Boston not LA に収録されている「Radio UNIX USA」という曲名が気になる
    歌詞はUnixとまったく関係ないが、バンドがBoston出身なのでMITとの関連があるのかもしれない

    • 歌詞には「no balls」という表現が繰り返し出てくるが、Unixが「eunuchs(去勢された男たち)」の語呂合わせである可能性が高い
      アメリカのラジオ局の4文字コールサイン規則をもじったタイトルなのかもしれない
  • この記事が面白かったなら、Steven Levyの**『Hackers』を勧めたい
    MIT AI LabからHomebrew Computer Club、初期のゲームプログラマーへと続く
    ハッカー文化の歴史**を扱っている
    私も子どものころに読んでプログラミングに夢中になり、今でもスタートアップで似たような協業の楽しさを感じている

    • Walter Isaacsonの**『The Innovators』**もぜひ読む価値がある
      Goodreadsリンク
    • 私も80年代に『Hackers』を読んでシリコンバレーのプログラマーへと進路を変え、のちに博士号を取り、大学でプログラミングを教えるようになった
  • Brian Kernighanの**『Unix: A History and a Memoir』**もすばらしい読み物だ