Magnifica Humanitas
(vatican.va)- AI時代の核心的な選択は、技術への賛否ではなく、バベルのように画一性と支配を築くのか、エルサレムのように共同責任と多様性の上に再建するのかにかかっている
- 教会の社会教説は固定された原理集ではなく、人間の尊厳、共通善、補完性、連帯、社会正義を通じてデジタル転換と人工知能を識別する生きた過程である
- AIとデジタル権力は、データ・プラットフォーム・計算資源の集中、自動化された意思決定、不透明な責任、環境コスト、見えない労働と新たな搾取を生み出しうる
- テクノクラート的パラダイムは人間を最適化すべき資源へと矮小化するため、教育・労働・家族・メディア・政治・経済は、真理と自由、ケアと参加を守れるよう再構成されなければならない
- 愛の文明は、戦争と軍拡競争、AIの武器化を拒み、正義・対話・外交・被害者の視点・祈りによって平和を築く道として示される
AI時代の選択と社会教説
- 人類の選択は、新たなバベルの塔を築くのか、神と人間がともに住まう都市を築くのかにかかっている
- 各世代は自らの時代を形づくり、すべての人の尊厳を守り、正義を促進し、兄弟愛を可能にする課題を受け継ぐ
- キリスト者は、「ことばが肉となった神秘のうちにおいてのみ、人間の神秘は真に明らかにされる」という観点から、イエス・キリストのうちに人間の充満を見る
- Pope Leo XIIIは1891年にRerum Novarumを発表し、2026年はその135周年にあたる
- この文書は社会・経済・政治に関する省察を力づけ、今日「教会の社会教説」として知られる流れの重要な出発点となった
- 社会教説は聖書と伝統に基づき、さまざまな学問と対話しながら、現在の課題を解釈するのを助ける生きた過程である
- デジタル化・人工知能・ロボティクスは、世界を速く深く変えつつある
- 技術はそれ自体が人類に敵対する力ではないが、善に向かわないときには害を及ぼしうる両義的な道具である
- 新技術は日常生活、意思決定過程、集団的想像力に深く入り込み、個人の尊厳と共通善に及ぼす長期的影響の評価を難しくしている
- 技術権力は前例のないほど私的かつ超国家的な性格を帯びており、共通善に向けて識別し、統治し、方向づけることがいっそう難しくなっている
- Pope Francisは、原子力、生命工学、情報技術、DNAの知識などが、知識と経済資源を持つ者たちに「人類全体と全世界に対する印象的な支配力」を与えると警告している
- 今日では、発展の主要な原動力は、多くの政府を上回る資源と介入力を持つ民間・超国家的主体であることが多い
バベルとエルサレム
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バベルの塔
- バベルの塔は、AI時代を責任をもって航海するための第一の聖書的イメージである
- シンアルの平野の人々は、「頂が天に届く」都市と塔を築いて散り散りになるのを避け、「名を上げる」ことを望んだ
- 単一の言語、単一の技術、単一の方向を持つこの計画は、多様性を取り除く画一性に依拠し、交わりよりも同質化を選ぶ
- 傲慢と自己充足の上に都市が築かれるとき、コミュニケーションは崩れ、言語は混乱し、結果は一致ではなく離散となる
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エルサレムの再建
- ネヘミヤによるエルサレム再建は第二のイメージである
- バビロン捕囚の後、エルサレムは廃虚となっており、ネヘミヤは行動に先立って断食し祈り、民のために執り成した
- 彼は破壊された区域を静かに見て回り、上から解決策を押しつけることなく、各家族に城壁の一区画ずつを任せた
- 都市は一人の主導ではなく、男性、女性、祭司、職人、家長、若者すべての共同責任によって再び生まれた
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技術に向けた選択
- 技術とデジタル革命に向き合う核心的な選択は、技術への「イエス」か「ノー」かではなく、バベルを建設するのか、エルサレムを再建するのかである
- 技術には、癒やし、つなぎ、教育し、共通の家を守る力がある一方で、分断し、排除し、新たな不正義を生み出すこともできる
- 技術は実際にそれを設計し、資金を出し、規制し、使う者たちの性格を帯びるため、決して中立ではない
- バベル症候群とは、弱者を犠牲にする利益の偶像化、差異を無力化する画一性、人間の神秘までもデータと成果に翻訳できるという錯覚を意味する
- ネヘミヤの道とは、多様な声とビジョンの中でともに築き、多様性を資源へと変え、傾聴と対話を正義と兄弟愛の基盤とする道である
人間であり続けるための原則
- 共通善に基づく都市は、神との堅固な関係の上に築かれなければならず、人間の限界と弱さは、修正すべき誤りではなく受け入れるべき現実として示される
- 無制限の「アップグレード」、不平等を悪化させる進歩、傷を癒やせない即時的解決策に希望を置くことには注意が必要である
- 真の充満は、弱さの除去ではなく、自由と責任、相互のケアと連帯が織りなす調和的な成長のうちに見いだされる
- 共同責任は、誰もが繁栄できる世界を築くための条件である
- 科学者と研究者、起業家と労働者、教育者と立法者、市民社会、大衆運動、信仰共同体のすべてに、それぞれの城壁の区画が与えられている
- 世代、民族、学問、文化のあいだの協力は、安定・繁栄・平和を促進する補完性の論理へとつながる
- 人間であり続けることは、AI時代の緊急の義務である
- 新たな非人間化の形態が人間の尊厳を脅かしているため、いかなる機械にも置き換えられない人類の偉大さを守らなければならない
- 神を行為の最前列に置き、人間を選択の中心に置かなければならない
教会の社会教説の性格
- 教会の社会教説は、近年の教皇教導権と第2バチカン公会議の中で形成されてきた動的な教えである
- 人工知能は管理すべき危機であるだけでなく、社会教説のカテゴリーを内側から問い直し、福音に忠実な発展を求める展開でもある
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人間の歴史を歩む教会
- 教会は全人類家族の一致のしるしとして世界の中に存在し、今日の問いと挑戦を傾聴・対話・奉仕の現在の場として認識する
- 教会は社会を形づくる力に対して部外者のままでいることはできず、より正義にかなった兄弟愛ある社会をつくるために固有の貢献を提供する
- Gaudium et Spesは、「地上の事物の自律性」が、被造物と社会が固有の法則と価値を持つという意味であるなら正当だと述べている
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政治共同体との区別
- 第2バチカン公会議は、教会共同体と政治共同体の区別を確認し、それぞれが完全な自律性の中で活動すべきだと強調している
- 教会は国家の機能を引き受けようとはせず、共通善に奉仕する市民制度の責任を認める
- 教会の関与は、善きサマリア人の模範に従って慎みと近さをもって行われるべきであり、市民共同体の制度的責任に取って代わることはできない
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みことばと人間諸科学の対話
- 教会は、「真理、善、美」を誠実に求めるすべての人を、尊厳の保護と被造物のケアのための貴重な同盟者と見なす
- 神のことばは正義と平和の基準を与えるが、複雑な現代状況に適用するには、哲学と人文・社会科学の貢献が必要である
- Pope Francisは、多くの具体的問題について教会が「最終的見解」を示すと主張しているのではなく、科学研究と専門家たちの真摯で誠実な討論を奨励している
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共同の識別
- 真理は独占すべき所有物ではなく、分かち合うべき賜物であり、教会を権力基盤的な存在の誘惑から自由にする
- 社会教説は適用すべき原理と規範のハンドブックではなく、福音の永遠の真理と歴史的問いの出会いから生まれる共同の識別の過程である
社会教説の発展と土台
- 社会教説の発展は、19世紀から現在に至るまで主要な社会変動に応答してきた教導権の流れとして提示され、その基本原理はCompendium of the Social Doctrine of the Churchに整理されている
- Rerum Novarumは、資本と労働の対立、労働者の尊厳、正当な賃金、私有財産の社会的役割、労働者の結社、階級闘争の代わりとなる協力を提示する
- Pius XIのQuadragesima Annoは、経済権力の集中と集団主義的計画を批判し、補完性の原理を体系的に定式化した
- Saint John XXIIIのPacem in Terrisは、人間の尊厳を基本的な権利と義務の承認に結びつけた
- Saint John Paul IIのLaborem Exercensは、労働を人間のための基本的善、経済活動の原理、そして社会問題全体の鍵として提示した
- Pope FrancisのLaudato Si’は、「地球の叫びと貧しい人々の叫び」は切り離せないと強調する
- Fratelli Tuttiは、社会的友愛、普遍的兄弟愛、より良い政治、そしてすべての人に「土地・住居・仕事」が保障される世界を提案する
- 人間の尊厳は、能力、富、人生における地位、正しいか誤っているかという選択に依存するものではなく、神の変わることのない愛の表現として、各人に先立って与えられる賜物である
- 存在論的尊厳は、存在しているという事実、神が望み、創造し、愛したという事実だけによって、すべての人間に属する
- Dignitas Infinitaは、すべての人間が「その存在そのものに不可譲に根ざした無限の尊厳」を有すると要約している
- 人権の識別と宣言は、人間の尊厳の要請に応えようとする最も重要な試みの一つとして認められている
- 権利の中で第一に挙げられるのは、受胎から自然死に至るまでの生命権である
- 女性の権利が平等に、かつ真に保障されるためには、法律、雇用へのアクセス、教育、社会的・政治的責任、そして女性の貢献を社会が聴き取り評価する方法において具体的に反映されなければならない
共通善、補完性、連帯、正義
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共通善
- 共通善は、すべての人に認められた尊厳の社会的表現であり、第2バチカン公会議はこれを、人々がより十全に、より容易に自己の完成に到達できるようにする社会的条件の総体と定義している
- 共通善は、個人利益の総和でも特殊利益の共通部分でもなく、すべての人に属し、共同の努力によってのみ達成・涵養・保護されうる、より大きな善である
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財の普遍的目的
- 財の普遍的目的は、土地、水、空気、天然資源がすべての人の生命を支えるよう、神が全人類家族に与えたものであるという原則である
- 私有財産権は固有の意味と目的を持つが、常に財の普遍的目的に従属する
- 今日では、この原則は特許、アルゴリズム、デジタルプラットフォーム、技術インフラ、データといった新しい形態の財産にも適用されなければならない
- こうした財が少数の手に集中すると、デジタル革命に参加できる人々と周縁に取り残される人々との格差が広がる
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補完性
- 補完性とは、個人・家族・地域共同体・中間団体の役割を、より高位の権威が代替してはならないという原則である
- デジタル革命の文脈では、最上位レベルは国家ではなく、日常生活の条件に_de facto_の権力を行使する巨大な経済・技術アクターであることが多い
- 補完性は、独立した点検、アルゴリズムの透明性、データへの公正なアクセス、救済経路を含む意味ある参加を求める
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連帯
- 連帯とは、各個人の未来がすべての人の未来と結びついているという認識であり、「誰も一人では救われない」という言葉で表現される
- データ、アルゴリズム、プラットフォーム、人工知能に関する決定は、少数の即時的利益だけでなく、すべての民族と未来世代に及ぶ影響を考慮しなければならない
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社会正義
- 社会正義は、社会構造と制度が人間と人間の尊厳に奉仕することを求める
- 不正は、個人の誤った選択だけでなく、不平等をほとんど自動的に生み出す構造・メカニズム・経済文化システムからも生じる
- デジタル時代の正義ある社会秩序は、すべての人に機会へのアクセスを保障し、弱い構成員を保護し、憎悪と偽情報に対抗し、データと技術の利用を公的監督の下に置かなければならない
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統合的人間発展
- 統合的人間発展とは、個人と諸民族の成長が存在のあらゆる次元を包摂し、後の世代にも未来を開く過程である
- 人工知能を含む技術革新は、それが人間と諸民族がより人間的に、より兄弟愛に満ちたものとなるのを助けるか、共通の家と未来世代を尊重しているかによって評価されなければならない
教会内での適用
- 社会教説は、社会に向けたメッセージであるだけでなく、教会のための良心の省察でもあり、教会の構造の内部でも共通善、補完性、連帯、正義が適用されなければならない
- The Final Document of the Synodは、透明性、説明責任、評価の文化を、宣教的変革のための中核的実践とみなしている
- 実質的な参加とは、洗礼を受けた人々の意思決定への参加と使命に対する共同責任を、名目上の参加機関ではなく実際の参加機関として実現することである
- 教会の中で正義を生きるとは、不平等、不透明性、権力の乱用を生み出す歪みから、教会的関係と構造を浄化することである
- 霊的・経済的・制度的・性的・権力に基づく虐待と、良心の虐待の被害者に耳を傾けることは、被害の認定、正当な賠償、再発防止を含む正義への歩みに不可欠である
AIとデジタル権力
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テクノクラート的パラダイム
- Pope FrancisはLaudato Si’において、効率・統制・利益の論理だけで個人・社会・経済の意思決定を形づくろうとするテクノクラート的パラダイムを批判している
- 技術があらゆることを判断する基準になるとき、被造世界は搾取の対象へと、人間はより大きな効率を目指すシステムの歯車へと矮小化される
- プラットフォーム、インフラ、データ、計算能力の統制が巨大な経済・技術アクターに集中すれば、アクセス条件、可視性のルール、参加可能性そのものが事実上彼らによって定められる
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AIと人間の知能の違い
- AIに関するあらゆる記述は、システムの発展速度のためにすぐ古くなり得るうえ、設計者を含めても実際の動作方式への理解は限られている
- 現在のAIシステムは、すべての細部を直接設計する方式というより、開発者が知能が「育つ」枠組みを作る方式に近く、「作られた」ものというより「育てられた」ものに近い
- AIは人間の知能の特定の機能を模倣するにすぎず、経験せず、身体を持たず、喜びや苦痛を感じず、関係性の中で成熟することもない
- AIの「学習」は、選択・失敗・赦し・忠実さを通じて人生に形づくられる経験ではなく、データとフィードバックに基づく統計的適応である
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有用性と境界
- AIは有用な道具になり得るが、結果取得の容易さ、客観性の印象、人間的コミュニケーションの模倣という三つの側面で注意が必要である
- 迅速な情報アクセスと実務支援は、過度の依存と出来合いの答えの追求を助長し、個人の創造性と判断力を弱めるおそれがある
- システムの応答が客観的に見える点は、それを設計・訓練した人々の文化的前提や強み・限界を覆い隠し得る
- 助言、共感、友情、愛のような人間的コミュニケーションの人工的模倣は、識別力の弱い利用者に、実際の人格的主体と関係を結んでいるという幻想を生み出し得る
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環境コスト
- 現在のAIシステムは莫大なエネルギーと水を必要とし、二酸化炭素排出に相当な影響を与え、自然資源に大きな負担をかけている
- 大規模言語モデルのように複雑性が増すほど、計算能力と保存容量への需要は高まり、機械・ケーブル・データセンター・エネルギー集約型インフラの広範なネットワークが必要になる
- 環境への影響を減らし、共通の家を守るためのより持続可能な技術的解決策の開発が不可欠である
AIの責任、透明性、ガバナンス
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自動化された意思決定
- AIの利用は純粋な技術問題ではなく、権利・機会・地位・自由に影響を及ぼす社会的問題である
- 雇用、信用、公共サービスへのアクセス、個人の評判のようなセンシティブな決定が、自動化システムに完全に委ねられる危険がある
- こうしたシステムは「思いやり、慈悲、赦し、そして何より人は変わることができるという希望」を知らないため、新たな排除を生み出しかねない
- AIは道徳的に中立だとは見なせず、何を測定し何を無視し何を最適化するのか、人や状況をどう分類するのかという選択と優先順位を内包している
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説明可能性と法的枠組み
- AIが人間の尊厳を尊重し、共通善に奉仕するためには、設計者、開発者、利用者、そして具体的な決定に依存する人々に至るまで、あらゆる段階で責任が明確でなければならない
- 多くの場合、結果に至る内部過程は不透明であり、責任の割り当てと誤りの是正を難しくしている
- 慎重さ、厳格な評価、時にはAI導入の速度の緩和を求めることは、進歩への反対ではなく、人類家族を責任を持ってケアする行為である
- 抽象的な倫理への訴えだけでは不十分であり、強力な法的枠組み、独立した監督、十分な情報を持つ利用者、責任を放棄しない政治体制が必要である
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アライメントを超えた公的議論
- AIを人間の価値に合わせる「alignment」のような機械の道徳化要求だけでは不十分であり、関連する倫理的枠組みを公に議論し、社会正義の共有基準に従属させなければならない
- 少数が決めた道徳がシステムの見えないインフラにならないよう、より積極的な政治的関与が必要である
- データの所有権は私的な手にだけ委ねることはできず、適切に規制されるべきであり、データは多くの貢献者の産物である以上、共同または共有財として管理する創造的な発想が必要である
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AI権力に対する社会教説的基準
- データ、計算資源、規制への影響力が少数にとどまる世界で共通善を語ることは、認識論的・経済的・政治的非対称性と、AIの新たな独占を明らかにすることである
- 財の普遍的目的は、技術とそれを使うための教育の双方への普遍的アクセスを保障することを意味する
- 補完性は、共同体が選択し修正する能力を守ることを求める
- 連帯は、アルゴリズムシステムを支える、隠され、しばしば搾取される労働者たちを認識することへと導く
- 社会正義は、技術配備の後に守るべき目標であるだけでなく、最初から技術設計を形づくるべき条件である
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AIを武装解除する
- AIを武装解除するとは、軍事的文脈だけでなく、経済的・認知的な「軍拡」競争の発想からAIを解放することである
- より強力なアルゴリズムとより大きなデータセットを目指す競争は、地政学的または商業的支配を確保しようとする欲望によって動かされている
- 武装解除とは技術の拒否ではなく、技術が人間を支配できないようにし、独占的統制から解き放って討論と議論に開き、人間に優しいものにすることである
失ってはならない人間性
- 人間性の保全は、「私たちの人間性を守るとは何を意味するのか?」という問いへと立ち返る
- 危険は特定技術の誤用を超えて、デジタル革命とAIが増幅するテクノクラート的パラダイムが反人間的な見方を常態化させることにある
- 効率が価値の最終尺度になるとき、人間は自らを、関係と交わりへと招かれた人格ではなく、最適化すべきプロジェクトとして見る誘惑にさらされる
- ケアの文明において、文明の質は手段の力ではなく、提供できるケアと、他者を機能ではなく顔として認識する能力によって測られる
- 子どもに物語を読んであげること、高齢者のそばにいること、もてなす家を整えることといった身振りは、社会的次元においてケアを価値あるものとして重んじるよう訓練する
- 技術は、人間の自由と判断を弱めない範囲で、予測と組織化を助け、相互のケアを支えることができる
- トランスヒューマニズムとポストヒューマニズムは、人間条件の超克を進歩として解釈する潮流である
- 「強化された人間」または「人間-機械ハイブリッド」という展望は、新技術への熱狂をかき立てる
- こうした考えが概して思弁的であっても、集団的想像力を変え、社会的・経済的・政治的選択に影響を及ぼす
- 限界は欠陥ではなく、人間性を開く通路として提示される
- 無力、病気、老い、苦痛、脆弱性は是正すべき欠陥のように見なされがちだが、人間性はしばしば限界を通じて成熟し、関係へと開かれる
- 苦しみを完全に取り除けば、結局は愛と欲望も消してしまうことになり、自由と失敗、夢と失望が残した傷のような学びが、人間性の豊かさを感じ取らせる
真理、教育、コミュニケーション
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共同善としての真理
- デジタルプラットフォームとAIシステムは、公的・政治的コミュニケーションを深く変化させ、対話と参加を促進することもできるが、事実と意見、真実と虚偽の境界を曖昧にするために使われることもある
- 偽情報はAIとともに始まったものではないが、今日のAIはコンテンツ・画像・動画の改ざん能力によってこれを強力に増幅している
- 真実の情報は中央集権的または自動化された統制から生まれるものではなく、検証・出典の相互確認・責任ある論証と信頼の絆を必要とする
- 民主主義は規則と手続きだけでなく、事実との一致と個人および社会全体の善への献身にかかっている
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コミュニケーションの生態
- コミュニケーションは情報伝達だけでなく文化の創造でもあり、デジタル環境で流通するコンテンツは、人々が世界を認識する方法や欲望、日常の選択を形作る
- 公共政策の次元では、コンテンツの選択と開発をめぐる意思決定をより透明にし、個人情報を保護するための規範を整える必要がある
- 社会・文化の次元では、中間組織、真摯なジャーナリズム、討論の場を強化し、即時的な反応よりも合理的な論証と検証がより大きな比重を持つようにしなければならない
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デジタル時代の教育
- 教育は、真理が特定の利害関係やコミュニケーション戦略のために歪められやすい時代において、決定的に重要である
- あらゆる技術は使う人を形作るため、AI利用の教育には、いつ、どのような目的のためにAIを使ってはならないかを教えることも含まれる
- 回答や要約をすばやく得る能力は、問いを発しようとする欲求を失わせる危険がある
- 幼い年齢での監督なしのデジタル機器やソーシャルメディアへの接触は、睡眠、注意持続時間、感情の調整、人間関係に悪影響を及ぼす可能性がある
- grooming、blackmail、未成年者の性的搾取のようなオンライン現象は、偽のプロフィール、危険な接触を促進するアルゴリズム、画像や動画を改ざんできるAIツールによって、より巧妙になっている
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学校の中心的役割
- 学校は、新しい世代が真理を探し愛し、人生の意味を省察し、すべての人の尊厳を認識する場である
- 情報技術とAIの発展は、別の時代のために設計された教育課程を急速に古びたものにしており、学校組織・物理的空間・評価方法・教師の役割を、統合教育の観点から再考しなければならない
- 家族、学校、キリスト教共同体、公的機関は、節度と限界感覚、自由と責任、超越と共同善の感覚を教育目標へと移し替える新しい教育連帯を形成しなければならない
労働と経済
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労働の価値
- Rerum Novarum以来、教会は労働者保護とあらゆる形態の搾取に立ち向かう必要性を強調してきた
- 労働は社会全体の問題を理解するための「本質的な鍵」であり、人は労働を通じて自己存在のさまざまな次元を発展させる
- 労働は単なる道具ではなく、人間の生の尊厳を表現し強化するものであり、目標は各人が自らの労働を通じて尊厳をもって生きられるようにすることにある
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自動化とAIが変える労働
- 自動化、ロボティクス、AIの収斂は、労働構造そのものを急速に変化させている
- AIは平凡な業務を代替して生産性を高めると約束するが、実際には、機械が労働者を支援するのではなく、労働者が機械の速度と要求に合わせるよう強いられることが多い
- 現在の技術的アプローチは、労働者の熟練を弱め、自動化された監視に従属させ、硬直的で反復的な作業へと追いやる可能性がある
- 雇用機会の保護と個人の代替不可能な役割は一般原則として維持されるべきであり、より大きな利潤追求は、雇用を体系的に犠牲にする選択を正当化できない
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移行の不均等性
- Saint John Paul IIは失業を重大な悪とみなし、それが大規模になれば国家の責任をとりわけ求める社会的災厄になると考えた
- 豊かな社会は急速かつ混乱のうちに自動化を進めて労働力需要を減らす一方、広い地域は低賃金の人間労働と部分的な技術が共存する混合経済に閉じ込められている
- すべての人に労働へのアクセスを保障することは、公共政策と経済プロセスの高い優先順位とならなければならず、あらゆる発展モデルの人間的質を評価する基準となる
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新たな協力と基準
- 政治指導者、労働団体、企業界、科学共同体は、国際的次元も含め、共同の規制と保護を迅速に発展させるための新たな協力に乗り出さなければならない
- 自動化とAIの導入は、労働者の雇用、再訓練、参加を保護する検証可能な措置とともに行われなければならない
- 企業は労働の質と尊厳を成功指標に含めるべきであり、そうしてこそイノベーションは、より安全で創造的かつ尊厳ある労働の同盟者となりうる
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GDPを超える発展
- 80年以上にわたり**国内総生産(GDP)**という概念に縛られてきた発展指標は、人間と環境の総体的な福祉に不可欠な側面を、ほぼ体系的に見落としている
- GDPを補完する指標は、労働の尊厳、共同繁栄、不平等の縮小、環境保護への影響を包括的かつ適時に評価できるようにする
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富とイノベーションへのアクセス
- 世界の富は絶対的には増加したが、より少ない手に集中しており、国内および国家間の不平等は拡大している
- 新しい技術が自動的にすべての人に利益をもたらすとみなすのは、証拠を無視する態度であり、設計段階で新たな格差の防止を優先しなければ、技術進歩は構造的不平等を生み出す
- AIとロボットの時代には、市場の「見えざる手」だけに依存することはできず、政治は経済と技術を共同善へと導かなければならない
家族、自由、新たな搾取
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家族と若者
- 家族は男性と女性の持続的結合に基づく第一義的な社会的善であり、すべての人が潜在力を発展させ、尊厳を認識し、真理と善の初歩的な形を学ぶ最初の環境である
- 家族は、労働の性格を変える経済・技術的転換の影響を直ちに受ける脆弱な社会的善であるため、文化的・法的・経済的支援を必要とする
- 若者にとって仕事は単なる収入源ではなく、アイデンティティが形成され、友情と関係が結ばれ、実践的責任を学び、召命を見いだす重要な領域である
- 国家は雇用に有利な条件を整え、危機の際に仕事を守り、労働市場への参入と職業的成長のための現実的な道筋を促進しなければならない
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依存と商品化
- デジタル注意経済と結びついた依存形態を過小評価してはならず、プラットフォームやサービスは、利用者の時間と注意を引き留め、脆弱性を利用し、内的自由を弱めるよう設計されることが多い
- 大規模なデータ収集とアルゴリズムシステムは、移動、購買、人間関係、選好などの行動の痕跡を通じてプロファイリングし、予測し、行動に影響を与える新たな権力を生み出している
- デジタル時代の自由は内面性の問題だけでなく公共的関心事であり、明確なルール、透明性、救済可能性、侵襲的技術の利用に対する比例的制限が必要である
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見えない労働
- AIの世界には非物質的または魔法のようなものはなく、即時的で欠陥がないように見えるあらゆる応答は、天然資源、エネルギーインフラ、人間を含む長い媒介の連鎖の結果である
- デジタル経済のかなりの部分は、データラベリング、モデル訓練、コンテンツモデレーションのような、不可欠でありながらほとんど見えない仕事を担う何百万人もの静かな労働に依存している
- AIが依存する機器やマイクロプロセッサの生産に必要な資源採掘の労働はさらに過酷であり、一部の地域では子どもや若者が危険な条件で働いている
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人身売買とデータ植民地主義
- 犯罪ネットワークは、オンラインプラットフォーム、メッセージングシステム、匿名決済手段、プロファイリング技法を利用して、人身売買の被害者、しばしば未成年者を募集・統制・移送している
- 人身売買は現代的奴隷制であり、人間の尊厳に対する重大な侵害として認識されなければならない
- 今日の植民地主義は身体だけを支配するのではなく、データを収奪し、個人の生活を搾取可能な情報へと変えている
- 共有知識が支配の道具ではなく真の共同善となるためには、データがどのように、誰によって、誰の利益のために使われるのかを決定する能力が個人に戻されなければならない
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サプライチェーンとプラットフォームの責任
- 技術産業とデジタル経済を支えるサプライチェーンは、いかなる競争優位も隠れた搾取の上に築かれないよう、より透明にならなければならない
- 企業と投資家は、労働者保護、強制労働の根絶、データベース型事業モデルの社会的影響評価を優先するデューデリジェンス基準を採用しなければならない
- デジタルプラットフォームは、コミュニケーション、決済、プロファイリングのツールが被害者の募集と統制の経路とならないよう、当局・市民社会と責任を持って協力しなければならない
共同責任
- 真理の探求、デジタル環境における教育、労働移行、家族の脆弱性、新たな奴隷制は、孤立した現象ではなく、共通する根本問題を反映している
- 技術が最終基準になると、人間はデータや機械の歯車、商品へと縮減される危険がある
- 技術が賢明な視点と統合されれば、成長、正義、友愛のための道具となりうる
- 教会の社会教説は共同責任を求めており、制度は抑圧するのではなく規律し、掌握するのではなく保護できなければならない
- 企業は労働と尊厳を成功の尺度として認めるべきであり、中間組織と教育共同体は信頼と関係を再構築しなければならない
- 市民は責任、節制、識別力、真理感覚を育まなければならず、そうしてこそイノベーションは排除と支配の源ではなく、統合的な人間発展に奉仕できる
権力の文化と愛の文明
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戦争と技術
- 倫理と責任から切り離された技術は、生と死に関する決定をより迅速かつ非人格的なものにし、武力行使を即時的で実行可能な選択肢として提示する危険がある
- 平和は多くの議題の一つではなく、普遍的な共通善の前提であり、とりわけ統治責任を持つ者たちの道徳的成熟を試す
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デジタル紛争
- デジタル革命は、通常戦争と並行して、サイバー攻撃、情報操作、影響工作、戦略的意思決定の自動化といったハイブリッドな形態を生み出した
- AIは民間人の防護と保護を強化できる一方で、武力行使の敷居を下げ、人々を責任から覆い隠し、敵を統計へ、犠牲者を「巻き添え被害」へと矮小化することもありうる
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愛の文明
- Saint Paul VIが「愛の文明」という表現を生み出したとき、世界は冷戦、軍拡競争、深刻な経済的不安定のただ中にあった
- 愛の文明とは、素朴なユートピアではなく、愛を正義の構造へと翻訳し、友愛に制度的形式を与え、他者を共通善の建設に必要な同盟者として見る課題である
- AIは、共有された権利と義務があり、デジタルな近接性が出会いと相互ケアの現実的機会となる、普遍的な人類家族を築くことに奉仕すべきである
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戦争の常態化
- 権力の文化は、資源へのアクセス性と支配能力が議題と意思決定基準を左右するようにし、戦争下にある民族の悲劇を戦略的利益に比べて二次的な考慮へと縮小する
- 今日では、再軍備に関する公的言論と決定の中で、戦争が国際政治の手段として復活し、その使用を制限していた倫理原則が浸食されるパラダイム転換が現れている
- 厳密な意味での自衛権は残るが、あらゆる種類の戦争を正当化するためにあまりにも頻繁に用いられてきた**「正戦論」**は、もはや時代遅れであると再確認しなければならない
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軍産複合体と武器
- 軍産複合体の成長は、現在の政治地形を規定する特徴となり、複数の国家経済の中核部門となっている
- 核兵器禁止条約は2021年に発効し、70か国以上が支持した重要な進展だが、主要な核保有国が同意していないため、おおむね象徴的措置にとどまる危険がある
- AIを組み込んだ兵器体系の開発は、人間の尊厳と生命の神聖さを保証し、兵器開発競争を避けるために、最も厳格な倫理的制約を受けなければならない
- 致死的または取り返しのつかない決定を人工システムに委ねることは許されない
- 致死的な武力行使の決定は、実効的で自覚的かつ責任ある人間の統制の下にとどまらなければならない
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多国間主義と現実主義
- 多国間体制の危機は、すべての民族の共同の未来と地球規模の共通善を守るために築かれた制度が弱体化していることに表れている
- 「自国第一」「味方か敵か」「我々か彼らか」といった単純なカテゴリーは、無責任な決定を容易にし、国家間の相互信頼を弱める
- 偽りの現実主義は、戦争を人間本性の不可避な一部とみなす文化的・人間学的信念に基づき、平和と対話をユートピア的態度として退ける
- 科学者、起業家、投資家、学術機関の責任者、政治家など、研究分野の中核的行為者は、自らが育てている技術進歩のより広い文脈を意識しなければならない
愛の文明のための実践
- 恒久的な紛争状態の世界を作り出すことは悪であり、現在は予定された運命ではなく、個人的・集団的回心の機会である
- 誰もが同じ影響力を持つわけではないが、誰一人として責任を免れず、それぞれの立場で無関心・冷笑・虚偽・憎悪を育てるのか、それとも真実・節制・近さ・ケアによって平和の思考様式を守るのかを選ばなければならない
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言葉の武装解除
- 言葉を武装解除することは、より人間的な文明に貢献する第一の方法である
- 自分が使う言葉、自分の抱く偏見、その中にある明示的・暗黙的な攻撃性を良心的に見つめなければならない
- 真実を語り、賢明な助言を与え、慰めを必要とする人を支え、不正を告発し、声なき人々に声を与えるたびに、共通善に貢献する機会が生まれる
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正義による平和
- 平和の土台は正義であり、どんな代償を払ってでも対立がない状態ではなく、正義から生まれる真の平和を追求しなければならない
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被害者の視点
- 一部の紛争において中立を保つことは不当であり、共犯ではないと主張するだけでは十分ではない
- 民間人への爆撃、病院・学校・不可欠なインフラへの攻撃、子どもに影響を与える暴力は、人間性そのものを傷つける醜聞である
- コミュニケーションと教育が被害者の声に場を与えるとき、紛争の常態化を拒み、被害者が認められ、聞かれる尊厳を回復することができる
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健全な現実主義と対話
- 健全な現実主義は、政治的理想主義と冷笑の両方を避け、利害・恐れ・制約・権力力学を明確に見極めることから出発する
- 対話と外交は紛争解決の標準的手段であるべきであり、「会おう、話そう、交渉しよう」という呼びかけが示されている
- 宗教間対話は暴力の思考様式を拒むうえで決定的な役割を果たし、神の名によってテロ・暴力・戦争を正当化する者たちは神の真の本性を裏切っている
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外交と多国間主義
- 外交的対話は、国際関係において紛争を予防し、信頼の絆を再建するための不可欠な道具である
- サイバー攻撃、データ操作、AIの助けを借りて組織された影響工作は、公然たる武力衝突の前であっても国家全体を不安定化させうるため、デジタル技術の使用に関する共通ルールが必要である
- 国際機関と国連は、国家間の対話、紛争の平和的解決、諸民族の完全な発展、脆弱な人々の保護、軍縮、被造世界のケアを促進できる
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祈りと希望
- 平和はまず「私たちすべてを無条件に愛してくださる神」から来る
- 復活したキリストの平和は、「武装せず、武装を解き、謙虚で粘り強い」平和として示される
- この賜物のために祈り、関係と社会の中で平和を実現するために献身しなければならない
結論: AI時代の人間と希望
- 「各建築者はどのように建てるかを慎重に選びなさい」という 1 Cor 3:10 の言葉は、世界をどのように築いているのか、AI時代に人間を守るとは何を意味するのかを問いかける
- キリスト者の生のプログラムは、神の計画を観想し、聖体にあずかって教会的一致を生き、共通善を中心に据えた世界を築き、祝福されたおとめマリアと一致して祈ることから生まれる
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ことばは人となられた
- 受肉の神秘はあらゆるものの中心であり、尊厳を奪われ沈黙へと縮減された多くの兄弟姉妹の身体を思い起こさせる
- トランスヒューマニズムと一部のポストヒューマニズムは、強化され、ほとんど脱身体化した人間を約束するが、受肉は、神が人間の条件の内に入って人間の弱さを救いの場へと変える別の道を開く
- AI時代における人間の偉大さは神の子の顔のうちに照らし出されており、どれほど精巧な計算システムであっても、自らを差し出す心や善悪を識別する良心を生み出すことはできない
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私たちの時代の建設現場
- 賢明な建築家の霊性とは、神の国への希望に導かれ、共通善のために世界を築く霊性である
- 真理に忠実であり、教育に投資し、関係を育み、正義と平和を愛さなければならない
- 教育に投資するとは、デジタル世界と人間的に関係を結ぶ方法を学び、子どもと若者が責任ある関係を発展させられるよう伴走することである
- 正義と平和を愛するとは、AIの進歩が正義と参加を促進しているのか、それとも富と権力を少数の手に集中させているのかを評価し、デジタル生産サプライチェーンと隠れた労働条件、操作や戦争から利益を得るメカニズムを見極めることである
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ネヘミヤと新しいエルサレム
- ネヘミヤは、荒廃した都市の叫びを聞き、その苦しみを祈りへと携え、神の前で識別し、民とともにエルサレムの城壁を再建した人物である
- デジタル転換の時代に、このイメージは社会的・文化的亀裂を前にして、受け身の傍観者や論評者にとどまるべきではないという比喩となる
- 歴史という建設現場は、研究所、テクノロジー企業、学校、メディア、制度、地域共同体として具体化される
- 新しいエルサレムはヨハネの黙示録において、すべての民族に門が開かれ、神の現存がすべての人に光と命を与える都市として提示される
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Magnificat
- マリアのうちでは、すべてが変えられ、この変化が見えないものを見えるようにする
- 神は高慢な者たちを散らし、権力ある者たちを引き下ろし、低い者たちを引き上げ、飢えた者たちを良いもので満たし、富める者たちを手ぶらで帰らせると歌われる
- 世界は権力ある者たちの目ではなく苦しむ者たちの目で、歴史は強い者たちの観点ではなく小さき者たちの目で見なければならない
- マリアのような信仰をもって、この世界の中で 希望の織り手 となり、日々の謙虚な忠実さのうちに、AI時代もまた聖霊が愛の文明を築く時となりうる
- 2026年5月15日、教皇在位2年目にローマのサン・ピエトロ大聖堂で与えられた文書として締めくくられ、署名は LEO PP. XIV となっている
1件のコメント
Hacker Newsの意見
人々がより広い社会的善を考慮するよう、何らかの技術を「飼いならした」事例があったのか気になる。
20世紀半ばの中産階級の台頭は、当時の産業技術が以前よりはるかに生産的でありながら、その運用には大規模な人間労働を必要としていたためだと思われる。Fordが善意で賃上げしたのではなく、多くの自動車を作り、それを買える顧客層を育てるほうが結局は利益になると見た、という側面に近い。
CO2排出もいつか流れを変えるかもしれないが、それは大衆が苦痛を引き受けるからというより、再生可能エネルギーとバッテリーが経済的に最善になりつつあるからである可能性が高い。社会が意識的に技術発展の方向を共同善のほうへ変えた具体例があるなら知りたい。
特に再生可能エネルギーでは、ドイツのRenewable Energy Sources Act(EEG)のような制度が需要を生み、その需要が中国の大量生産を誘発して価格を下げる流れにつながった。
もちろん、これが純粋な人道主義によるものではなく、ゲーム理論の予測可能な結果だと見ることもできる。より重大ではない領域では、自由市場は人々を中毒にしたり害したりしたがる物質、たとえばニコチン・トランス脂肪・ギャンブル・アルコールを規制してきたが、成功の度合いはまちまちだ。
引用文をじっくり読んでみたい。年を取るにつれ、そしてAIのおかげで実行より思考に多くの時間を使うようになって、徳のある生とは何か、倫理や道徳についてより多く考えるようになった。
答えを持っているわけでも、必ず見つけようとしているわけでもないが、そうした問いに答えることを仕事にしている人たちから読み、学ぶことは興味深い。
「世界のあらゆる潮流を支配することは我々の役目ではない。与えられた時代を助けるために、自分の内にあることをなし、自分の知る野にある悪を根こそぎにして、後に来る者たちが耕せる清らかな土地を残すことだ。」愛の文明は、ただ一つの壮大な行為ではなく、非人間化に抗う小さく着実で誠実な行動の総体から生まれる、というくだりがよかった。
だから、私たちがAIの力を制限しても、他の人々はそうしないかもしれず、それが誤りになる可能性もある。この点が考慮されてほしい。
アメリカ人の多くは自分を「一時的に困窮しているだけの百万長者」だと見ている、というSteinbeckにしばしば帰される言葉はそれをよく捉えている。
AIデータセンターの承認プロセスを見ると、少なくとも圧倒的大多数の地域社会が望んでいないのに、選挙で選ばれた代表者たちは気にも留めていない。時には深夜に採決し、反対する住民に警察の暴力を使い、抗議者を暴力的、あるいはテロリストとまで呼ぶ。
税の減免、追加の電力インフラ費用、優遇電気料金まで、すべて他の人々が負担することになる。さらに憂鬱なのは、代表者たちがその反動を恐れていない点だ。落選しても、業界で無名の6桁年収の職を得る可能性が高く、子どもたちもそうした「仕事」を得るだろう。
あらゆるものがますます手に負えなくなっていく中で、こうした構造は続けられないし、そのかなりの部分は、RealPageによる家賃上昇や食肉加工業者の談合による牛肉価格上昇のように、AIが後押ししている面もある。社会崩壊へ向かって急速に転がっているように感じる。
その一方で、私たちの生きている間に初の兆万長者が現れる可能性があり、そうなれば文字どおり、億万長者は地球上で最も裕福な人間よりホームレスに近い存在になる。
米国政権が教皇をあまりに「woke」だと攻撃しているのも滑稽だ。Chicago出身の教皇になったときは疑念もあったが、今のところこの世界ではまれな思いやりの声に見える。
この事態がどう展開するかは、Global Southを見るだけでも分かる。西側の多くの人々は、植民地主義がいかに恐ろしく収奪的であったか、そしてそれが歴史の遺物ではなく今なお続いているという事実をよく理解していない。
どんな宗教も自由ではない。私たちが知らないという根本的な真実すら受け入れられないなら、本質的に偏っている。
16歳のときは虚無主義者で、そこに至ってその真実を受け入れるまでに何年もかかった。その後も、手応えのある何かを正確に捉えるには時間がかかったし、今もかかっている。
第一段階は無と未知を受け入れることで、次の段階は進化的特性を見ながら、なぜ存在するものがそのように存在しているのかを理解することだ。
ざっと目を通しただけだが、時間ができたらじっくり読むつもり。無神論者の立場から見ても、技術に関しては Vatican がどんな機関や政府よりも優れた解釈を示すことが多い
現在のAIシステムは、直接「作る」というより 育てる に近く、開発者もすべての細部を設計するのではなく、知能が育つ枠組みを作るという説明が核心だ。だから内部表現や計算過程のような根本的な科学的側面はまだ分かっておらず、科学研究の深化と道徳的・霊的な識別が同時に必要だという点を的確に押さえている
カトリック教会には多くの欠点があるが、それでも 知的伝統 は真剣に維持されている。
無神論者も、他の信仰の膨大な多様性についてもっと学ぼうと努めるべきだと思う。Abrahamic の神だけを否定する無神論はあまりに狭く、キリスト教的思考があまりにも深く染み込んでいるせいで、それが唯一の選択肢であるかのように感じられ、気づかないうちに多くを受け入れてしまう
相互作用の一方通行性、内面世界の一部だけを伝えようとする傾向、自分についての偽のイメージを作り、それが自己耽溺の一形態になる危険を警告していた
Galileo Galilei は Pontifical Academy of Sciences で学び、Mendel は修道院で発見を行い、長いあいだ本・翻訳・図書館の多くは宗教機関の内部で営まれてきた。その長い期間の中心にはキリスト教カトリックとイスラムがあった。
Vatican Observatory も、質の高い論文の重要な源だ。キリスト教とイスラムが拠り所とする重要なものの一つが本であるという事実も大きい。建築・芸術・哲学まで含めればさらに広がる。
何千年もの歴史の中で、被害妄想的だったり、失敗を覆い隠そうとしたり、自分たちの世界観への挑戦に怒ったりした愚かな指導者が何人かいたとしても驚くにはあたらない。十分に大きな集団なら、どれほど優れていても台無しにする人は出てくる。
Vatican の人々のように長く振り返れば、パターンが見えてくるはずだ。技術と科学、たとえば人種理論や化学的去勢のようなもの、あるいは単なる「進歩」は、宗教・民主主義・自由と同じく、悪行を正当化するためにしばしば使われる。
もちろん今でも強硬な反科学の創造論者はいるが、とても宗教的な人と話してみると、科学の周辺にも哲学が多くある。たとえばビッグバン理論は宗教者が始めた理論であり、宇宙が無限の時間ずっと存在していたのでなければ、何らかの原因が必要だという考え方がある。その原因が無限循環でないなら、どこかで始まっていなければならず、信じはしなくても、意図的な始まりという観念は存在する。それが私を宗教者にするわけではないが、彼らを無神論者にするわけでもない。
科学対宗教という構図は、民主党・共和党や他の集団が科学に反対するという構図と同じくらい、真実でもあり虚偽でもある。誰もが自分の嫌いなものに直面すると反科学的になる。HN のコメント欄がその最良の証拠だ。
私も無神論者だが、知識と信念の違いすら分からない類ではない
核心的なメッセージは、作る側の人々が、自分たちの作るものが文明に与える影響を深く考えなければならないということ。
「技術は決して中立ではない。技術は、それを考案し、資金を出し、規制し、使用する人々の特性を帯びるからだ」
したがって作り手は「特別な倫理的・霊的責任」を負い、「あらゆる設計上の選択は人間観を反映する」。
問うべきことは「作れるか?」や「人々はそれを望むか?」にとどまってはならず、作るべきか、人類をより良くするかも問わなければならない。この回勅は、共同善を築くために力を合わせるよう促しており、今まさに必要なメッセージである
Association for Computing Machinery の第一原則も 公益 である。ソフトウェアエンジニアは自らの仕事に責任を持ち、エンジニア・雇用主・顧客・ユーザーの利益を公益と調整し、安全で仕様を満たし、テストに合格し、生活の質・プライバシー・環境を損なわないと信じる根拠がある場合にのみソフトウェアを承認すべきだとされている。
IEEE の第一原則も、専門活動において最高水準の誠実さ、責任ある行動、倫理的 conduct を守ることだが、その中には大衆の安全・健康・福祉を最優先すること、倫理的設計と持続可能な開発、プライバシー保護、そして大衆や環境を危険にさらす要因の迅速な公開が含まれている
「作る人たちが自分で正しくやってくれるだろう」という態度は、あちこちで明示的に批判されていると感じる。共同善とは、個人の単なる集合ではなく、相互につながり、共和国に対して共同責任を負う生きた現実としての peuple に命を与えるものだ、という説明がある。
経済の流れ、デジタルプラットフォーム、データとアルゴリズムのガバナンスについては、少数の主体に任せることはできず、世界共同体のさまざまなレベルを尊重しつつ、共同善のために共に責任を負う協力の形を作らなければならない点も強調されている。
AIを人間の価値観に適合させる、いわゆる アラインメント だけを求めても不十分であり、関連する倫理フレームワークを公に議論し、社会正義の共有基準に従属させられるべきだという。あらゆるものが加速する時代だからこそ、減速することができ、共同体が参加し問いを発する機会を守れるような、より積極的な政治参加が必要だ
科学者たちは達成に取りつかれて「できるか」に集中し、「すべきか」を問うために立ち止まらない、という内容である。映画ではこの引用が少し変えて使われていた
人間の生活に影響する重要な決定、たとえば採用・融資・犯罪予測・福祉が不透明な ブラックボックス の中で処理されると、人々は自分の文脈を説明したり、機械のアルゴリズム判定に異議申し立てしたりする基本権を失ってしまう
たいてい、得られる価値より費やす時間のほうが大きい。同じ理由で、こうした企業は事実上 反多様性 でもある。あらゆるものが多数派向けに設計されると、生活様式において少数派に属する人は苦労することになり、そういうことは常に起きる。だからこそ、アメリカを離れて、より包摂的だと感じる国へ移った理由の一つでもある
むしろAIは、完全に監査可能な公共機関を作る最高の機会を与えるかもしれない。合意された法の外で決定が下されず、時間や法的リソースの不足なく、犯罪の文脈を十分に検討できるからだ。
いつものことだが、技術の道徳性は誰が所有し、どう使うかにかかっている
このテーマについて、驚くほど 微妙で技術的リテラシーのある 解釈である。
時代の変化に対応するため、こうした点がこの人物を教皇に選ばせたのだろうかと思う
AIがすべきだと語られる多くの文では、「AI」を 企業 に置き換えたほうが、むしろしっくりくる気がする
実際、主語を入れ替えて読むと、文は興味深い別の含意を持つようになる
Joscha Bach が、宗教は A|B テストの結果を公開しないと語った部分は 51:47 にある:
https://youtu.be/7bqdPHLIY8w
Vatican HTMLから EPUB を作成したとのこと。目次と脚注があり、epubcheckも通過している
https://github.com/n2ctech/magnifica-humanitas-epub/releases...
AIを学ぶためというより、宗教と技術が交わる興味深く歴史的な接点として読む価値がある
付随的に、新教皇は政治的レトリックと論争にかなり長けており、近年の教皇たちよりはるかに現代的な重要性があるように見える。また、世俗的な情緒が宗教を扱うあり方にも空気の変化があるようだ
カトリックとAIのような交差点では、かなり多くのことが起こりうる。たとえばLLMは聖書をはるかに身近なものにしうるし、歴史的にこうした変化は大きな影響を持ってきた。Augustine、Aquinas、Spinoza、Schmidtといった流れとして見られる
さらにLLMはセラピスト、confidant、助言者になりえ、潜在的には告解司祭やpriestの役割さえ担えるかもしれない。「AIの神を作る」という話はやや陳腐になってきたが、LLMが人々の生活の中で神的な役割を引き受ける形はいくつもある
予測しても仕方ないが、AIが宗教的・霊的領域へ浸透していくのを見ることになりそうだ。優れた自然な対話音声がボトルネックだと思う。個人的にはこのPope/AI現象が興味深い
最近は、宗教を実際には信じていないのに高く評価するような考えをよく耳にする。ノアの方舟が実在したかには懐疑的でも、その物語は比喩として十分に賢明なので、ある意味では真実だと見なせる、というようなものだ
単に自分が年を取り賢くなって、自分の精神的成長を周囲の人々に投影しているだけかもしれないが、宗教に向けられるこうした全般的な態度はかなり勢いを得ているように思える
Magnifica humanitasは5章構成で、前提は技術が「人類に敵対する力」でも「本質的に悪」でもないということだ
ただし「技術は決して中立ではない。技術は、それを考案し、資金を出し、規制し、使用する者たちの特性を帯びるからである」
したがってPope Leo XIVは、人々が「共通善のために」創造し、「人間であり続ける」べきだと訴え、共有された責任とcommunioの勇気ある姿勢を通じて、世界が「人間の心を、神が宿ろうとする場所として認識するようになるだろう」と述べている
Steve YeggeがHansel Minutes Podcastで「モデルを有用になるよう訓練しながら、人類の繁栄を望まないようにすることはできない。それを避ける唯一の方法は、より愚かなモデルを作ることだ。だから最も賢いモデルは常に億万長者たちに反対するだろう」と語っていた
https://youtu.be/9UDLl9Q0azA?si=P_oSe6iclEwUoxRl&t=1230
正確な引用はその箇所だが、文脈全体を見るなら17:00ごろから聞くのを勧める。実際にそう展開するかは分からないが、興味深い考えだ