- 第二次世界大戦当時、実際に銃を撃った兵士は 15〜20%にすぎなかった という研究が示すように、組織内の実質的な成果の大半は少数が生み出している
- テック業界はこの問題の解決策として 「コラボレーション」を掲げたが、実際には業務調整ツールだけが増え、成果物がほとんど出ない構造が固定化した
- 集団が大きくなるほど コミュニケーションコストと調整コスト が爆発的に増え、会議が会議を生む 責任の拡散 現象が繰り返される
- 透明性が進捗と混同され、可視性が責任感と混同されることで、コラボレーション文化が個人の責任を薄める メカニズムとして機能している
- 実際に複雑で質の高い仕事の多くは、明確な権限と責任を持つ個人または少人数グループ が担っており、コラボレーションはそれを飾るための言葉 としてしか機能していない
- 本当に必要なのはコラボレーション基盤ではなく、個人の主体的な判断と責任(ownership) であり、組織はそれを信頼する方向へ転換する必要がある
コラボレーションという幻想
- コラボレーション(collaboration) は現代の組織で生産性の象徴のように扱われているが、実際には 責任回避と非効率の構造 として機能している
- 第二次世界大戦中のS.L.A. Marshallの研究によれば、戦闘中に実際に銃を撃った兵士は15〜20%にすぎなかった
- IBMが1960年代に見いだした「利用の80%は機能の20%から生まれる」というパターンと同様に、少数の構成員が成果の大半を生み出す
- 残りは「構造的支援(structural support)」を提供するだけで、組織内では 努力の不均衡 が繰り返し現れる
- テクノロジー産業はこの問題を解決するために、「コラボレーション」という概念を信仰のように追い求める ようになった
- Notion、ClickUp、Slack、Jira、Monday、Teams など数多くのコラボレーションツールが登場したが、成果物(output) より 活動(activity) が増えた
- 透明性と可視性が、そのまま進展や責任だと誤認され、「スレッドに含まれていること」が「結果を所有していること」と同一視 される
- その結果、コラボレーションは実際の成果ではなく、参加のシミュレーション へと変質した
- 責任の拡散(diffusion of responsibility) は古くから観察されてきた現象である
- 1913年の リンゲルマン効果 は、集団の規模が大きくなるほど個人の努力比率が低下することを示した
- Frederick Brooksは1975年にIBM System/360の事例を通じて、遅れているプロジェクトに人員を追加するとさらに遅れる という法則を提示した
- 人員が増えるほど コミュニケーションコストと調整コストが幾何級数的に増加 し、会議が会議を生む悪循環が発生する
- コラボレーション産業はこの構造的問題を隠すために莫大な資源を投じてきたが、実際に高品質な仕事をしているのは少数の個人または小さなチーム である
- Dostoevskyは『カラマーゾフの兄弟』を一人で書き上げ、Apollo Guidance Computer はMITの少人数チームが明確な責任体制の下で開発した
- 真の成果は 明確な権限と個人的責任 から生まれ、コラボレーションはその結果を飾るための言葉として機能するにすぎない
- 一方で現代の組織は、ソーシャル管理(social management) のための複雑なコラボレーション基盤を築いただけで、実際の仕事は後回しにされている
- 本当のオーナーシップ(ownership) とは、個人が自ら意思決定し、その結果を引き受ける形で存在する
- しかしコラボレーションが文化的規範となった環境では、単独の決定が非協力的な行為と見なされる
- コラボレーションのイデオロギーは、責任と主体性を反社会的な行為のように感じさせ、その結果、生産の中核メカニズムを弱体化させた
- 会議、文書、レトロスペクティブ、キックオフなどは延々と繰り返されるが、実行につながらない「調整の過剰」 だけが残る
個人責任への回帰の必要性
- 多くのプロジェクトは 調整時間 > 実行時間 という構造に変わり、失敗したときの解決策は「さらに多くのコラボレーション」へと帰着している
- しかし本当の問いは、「私たちは実際に何を作っているのか、そして誰がそれに責任を負うのか」である
- どの仕事についても 最終責任者は一人であるべきであり、コラボレーションの構造がそれを覆い隠していても変わらない
- 個人への信頼回復 が必要である
- あらゆる責任を組織全体で監視する必要はない
- 過剰な管理とメトリクス中心の文化 の代わりに、個人が自分の仕事を自ら管理し、結果で評価されるべきである
- 失敗した場合には、その責任を明確に個人へ帰属させる構造が必要だ
- 集団的努力という幻想 を捨て、実際に行動している人を特定できる環境 に戻るべきである
- 各自が自分のやるべきことを自ら管理し、その結果によって評価されるシンプルな構造へ回帰する
- 「コラボレーション」という温かくも高くつく虚構を手放したとき、誰が実際に引き金を引いているのか を明確に見られるようになる
20件のコメント
要するに、「自分は協業できない」という宣言を長々と書いているように見えますね。大規模な組織の中で協業という概念が足かせになることがまったくないわけではありませんが、それさえも協業がうまくできていないために起こる現象であって、協業そのものの問題ではないんですよ。
筆者の性格がちょっと良くないみたいですね。
wwwwwwwwwwww あー、吹き出してしまいましたwww
「"第二次大戦当時、実際に銃を撃った兵士は15〜20%にすぎなかった"」
マーシャルの「15〜20%射撃率」という主張を真正面から反論・分析した後続研究や論文は、軍事史学界でかなり重要なものとして扱われてきました。1980年代以降、複数の歴史学者や軍事専門家がマーシャルの研究記録を追跡した結果、その数値は事実上ねつ造されたか、あるいは深刻に誇張されたものだという結論に至りました。
ロバート・エンゲン(2010年)は、米軍と似た環境で戦った第二次世界大戦当時のカナダ軍歩兵将校のアンケート調査および戦闘記録を分析しました。カナダ軍の実際の射撃率は、マーシャルが主張した15〜20%を圧倒的に上回っていたことを示し、マーシャルの主張は西側連合軍全体に適用できない深刻な一般化の誤りだと反論しました。
冒頭の内容から何かおかしい気がして調べてみたら、どうも誤って広まった話のようですね。下のHacker Newsのコメントで言われていることもそうですし。
Hacker Newsの意見
30年以上この仕事をしてきて見てきたのは、「締め切り(date)」が常に成果物そのものより重視されるということだ。
実際にはその日付に間に合わせるのはほとんど不可能なのに、組織はいまだにそれを唯一の指標にしている。
ソフトウェア開発が本質的に予測不可能な活動であることは、ほとんど考慮されない。
アジャイル宣言が最初に出たときは希望があったが、すぐに「各段階にどれだけかかるかを正確に言え」という管理手法に変質した。
少し遅れるのは許されても、金をもっとくれと言うと永遠に嫌われる。
アジャイルは優れたProduct Ownerが適切な予算と意思決定権を確保しているときにだけうまく機能する。
チームは期間内に可能な分だけ納品し、締め切りが近づくほど機能を削っていく。
成果物の内容より納品そのものを保証するやり方だ。
もし日付がそれほど重要なら、こういうアプローチも試す価値があるのではないか?
小さな組織ほど本当の利害関係者が存在するが、大きな組織では成果とキャリアが分離している。
私はハードウェア分野で働いており、年末の目標を「自分が直接書いたコードでデモ可能な状態」と定義している。
「数週間かかる」と言っておきながら、実際には30秒で実装する。
筆者は少し強く言いすぎている気がする。
おそらく協業がめちゃくちゃなチームで働いたトラウマがあるのかもしれない。
だが、うまく運営されているチームは確かに存在し、集団は個人より大きな成果を出せる。
ピラミッドもLinuxカーネルもAWSも、一人で作ったものではない。
チームが大きくなるほどコミュニケーションのオーバーヘッドは増え、そのかなりの部分は管理層の可視性への欲求から来る。
良いチームは内部でうまく意思疎通するが、管理層にもある程度の可視性は必要だ。
結局、良いチーム + 良いマネージャーの組み合わせが必須だ。
ほとんどの組織は協業をうまくできていないのに、その失敗を協業という言葉で覆い隠している。
ただし、「小さなチームだけが仕事をする」という主張には行き過ぎた面がある。
ピラミッド建設のような例は、現代的な意味での協業というより厳格な指揮系統に近い。
アポロのコンピュータプログラムは小さなチームが作ったが、月へ行くにははるかに多くの協力が必要だった。
協業が実際に有効だという証拠は多すぎるほどある。
一人ではAssassin’s Creedのような大作は作れず、委員会ではStardew Valleyのようなゲームは作れない。
別種の能力なのだ。
私も筆者の経験には共感する。
スタートアップで解雇された後に大企業へ移ったが、最初はチームワークがかみ合って成果も良かった。
ところがAgileコーチが現れ、「協業」を名目に自分のアジェンダを押し通し始めた。
8か月にわたって無意味なワークショップと権限争いが続き、結局、有能なチームが無力なチームに引きずられた。
無能な人を解雇しない文化が問題なのだ。
本当の協業は、お互いの自尊心を捨てて耳を傾けながら働くときに可能になる。
一人で働けばより多くのことはできるが、問題を誤って定義するリスクが大きい。
協業は多様な視点によってそれを防ぐ。
働かない人たちが、むしろ働く人の邪魔をする。
最近読んだMcEntireの論文 “The Organizational Physics of Multi-Agent AI” が興味深かった。
AIエージェントでさえ、人間の組織にある政治的な非効率をそのまま再現する。
結局、組織が悪ければ「仕事のための仕事(work about work)」ばかりすることになる。
小さくて責任感のあるチームの方がずっと楽しいが、再現性は低い。
私のブログ記事 Where to Cut でもこのテーマを扱っている。
役割と構造が明確なときにだけ、オーケストレーションがきちんと機能すると感じる。
人を入れ替えたりチームを移動させたりすると、コンテキストスイッチのコストが生じてチームの結束が壊れる。
原文は何を言いたいのかよく分からなかった。
成果を出す人に認知が与えられない文化が組織をむしばむ。
より重い荷を担っている20%は、ただ認められたいだけなのだ。
それを与えなければ、会社はすぐに空っぽになっていく。
自分が何をしているかも知らない人からの称賛には興味がない。
この文章は組織を超えて、「著作権と主体性」の社会的意味へと拡張できる。
複雑で高品質な仕事は結局、小さなチームや個人の明確な責任感から生まれる。
ドストエフスキーやアポロのコンピュータチームのように。
その一方で、「みんなが貢献するが誰も報われない」協業ユートピアは現実とかけ離れている。
人間は自分の名前が載る創作物により強く動機づけられる。
複雑なサプライチェーン自体が、もう一つの協業の形だ。
「80%の兵士は発砲しなかった」という主張が怪しく思えて調べてみたら、すでにかなり前から反証されている資料だった。
2011年の論文 でも、その根拠は弱いとされている。
米軍のtooth-to-tail比率を見ると、実際の戦闘要員は4〜10%水準だ。
したがって、数値の混同が原因かもしれない。
しかしその分、PTSDの比率も上昇したという。
全体として、これは軍人の事例を事務職モデルに無理やり持ち込んだ incoherent な試みのように感じる。
だが筆者に良い知らせがある —— あなたも個人クリエイターになれる。
NotchやStardew Valleyの開発者のように。
不平を言う代わりに、自分で何かを作ればいい。
80%が銃を撃たなかったというのは依然として興味深い事実だ。
筆者は成果に対するインセンティブ設計をまったく考慮していない。
Mungerの言う通り、「インセンティブを見れば結果が分かる」。
協業の難しさより重要なのは、成果を出した人に報い、フリーライダーを抑制する構造を作ることだ。
それも大した額ではない。
もし可能なら、私たちはとっくにユートピアに住んでいるはずだ。
そもそも冒頭の根拠からして事実と異なるという点を抜きにしても、戦争で銃を撃つ問題(人を殺しうること、戦時の兵士たちの訓練度合い……などの問題が入り混じっている)と、開発における協業の問題を結びつけて考えること自体が奇妙に見えます。文章の出だしが重要だということを証明する文章なのでしょうか……
反応を見ると、本当にこの文章のとおりに勘違いしたまま生きている人が多いようだ
1 + 1 = 1.1でさえあるなら、どれほど生産性の高い1人であっても、非効率な1,000人より大きな成果物を生み出すことはできません。ソフトウェア開発には手工芸的な職人気質の側面もありますが、工場で生産する製品という側面もあるのです。
頭のいい少数がうまく整理して、頭の悪い連中にも理解できるように、ちゃんと動けるようにしてやるんですよ。頭の悪い連中は、それを自分たちが協業していると勘違いしてるっていう(笑)
コラボレーションがたいてい失敗するのは事実ですが、生命の誕生を含め、あらゆる偉大なことはコラボレーションから生まれました。
本当に超一級の天才でもない限り、どれだけ優秀でも一人では仕事はできない。残りの80%がたとえチアリーダー役しかしていなくても、隣で持ち上げてくれるだけで0.5人前にはなるし、エースたちが2〜3人前の働きをして会社は回っているんだ。一人で働いていたら認められている実感も得られないし、孤独で耐えられない。
とても共感します。
特に成果物よりも、コラボレーションツール上で起きる可視性や透明性のための活動ばかりがやたらと増えていくという……
自分の責任を軽くしようとしてあれこれ全部ノートに残す企画担当者たちを見ると、開発者としてはむなしくなるばかりです。
まるで大人たちの虚礼と虚飾を初めて見つけて怒り始める高校生みたいですね。なんとなく、この書き手は『ライ麦畑でつかまえて』のホールデン・コールフィールドが好きそう…。
プロジェクトの規模によっては、一人が主体的にリードすることがチーム全体の貢献より重要な場合もあるでしょうが……規模によってはそうではないと思います
これじゃないでしょうか..
ピザ2枚の法則ですね
協業は役に立たない
なんだか、前にもまったく同じタイトルを見た気がするけど…
最初の行で示された資料からして、検証されていないように思いますが。
組織の規模が大きくなるほど、この話者の言っていることが正しいように思えるし、
組織の規模が小さくなるほど、この話者が言う方向性がすでに実現されている気がしますね(笑)
AIツールが現実のものとなっている今の時点では、個人のマンパワーを極大化できる、かなり現実的で見識のある文章だと思います。
今後、あらゆるものはますます軽量化と高速化を求められるでしょうから、これまで続いてきた古い観念のコラボレーションはリセットされるでしょう。しかし、エンタープライズ級のソリューション開発には協業が不可欠です。