- ギリシャの建築家 Katerina Kamprani が手がけるプロジェクト 「The Uncomfortable」 は、意図的に不便な日用品をデザインすることで、「悪いデザイン」の美学を探究している
- フォークの持ち手にチェーンを付けたり、水が漏れるケトルを作ったりと、機能的には不便だが視覚的には魅力的なオブジェクトを通じて、良いデザインの価値を逆説的に浮かび上がらせる
- プロジェクトは2011年に始まり、ヨーロッパ各地の美術館での展示を経て、デジタルレンダリングと実物のプロトタイプを並行して、約 50〜60点の作品が制作された
- Kamprani は AIの使用を拒んでおり、創作は「分析ではなく直感的な発想」で行われると説明している
- この取り組みは ユーモアと自己表現の手段であると同時に、障害のあるユーザーの体験への認識を広げるきっかけにもなっており、商業化よりも 芸術的自由の維持を選んでいる
The Uncomfortable プロジェクト概要
- The Uncomfortable は、日用品を意図的に不便に再構成したデザインプロジェクトで、「不便さを通じた洞察」 を提示している
- 代表作として チェーンの持ち手のフォーク、口の広い「滝のようなケトル」 などがある
- 作品の大半は、見慣れた形をひねって異化する視覚的ユーモアを備えている
- プロジェクトは2011年に始まり、Kamprani は 建築学修士課程の中断と広告会社での解雇の後、ユーモアを込めた創作を試みる中でこれを構想した
- 「実用的でなくてもいい、賢くて面白い何か」を作りたかったと語っている
- デザイン学校で学んだ原則の 正反対を実践する『反抗的な行為』 だと定義している
創作プロセスと展示活動
- Kamprani は現在も断続的に新作を制作しており、プロジェクトは 継続中 である
- 当初はデジタルレンダリングのみだったが、2015年から一部の実物制作を始めた
- 最初の実物作品は広告会社との協業で 3種類を各20点ずつ 制作した
- 2017年の初個展では、できるだけ多くの作品を実物として実現した
- これまでに約 50〜60件のデザインを作っており、半分は実物、半分はデジタル形式で存在する
- 大半は 単一のプロトタイプとして存在し、一部のマグカップなどは2〜5点制作されている
デザインへのアプローチ
- 創作プロセスは、日常の物を不便にする想像から始まる
- フォーク、グラス、眼鏡など、見慣れた物を対象に「どうすれば不便にできるか」を考える
- 初期には友人たちとの会話の中でアイデアを検証し、発展させていった
- アイデアは「分析的思考ではなく直感的な発想」から生まれると説明している
- Kamprani は AIツールを使わない
- AIの存在によって、むしろ創作意欲が下がったとも述べている
- 「より速い方法はあるが使いたくない」とし、今後も ローカル環境での限定的な活用可能性だけを残している
プロジェクトの意味と影響
- このプロジェクトは、Kamprani にとって 自己表現とユーモアの通路として機能している
- 当初は単に自分を楽しませるための作業だったが、結果として アーティストとしてのアイデンティティを自覚することになった
- 他者とのコミュニケーション、ユーモアの共有、受容を通じて継続の動機を得ている
- 障害のあるユーザーから「一般的な製品が不便に感じられる」というメッセージを受け取り、デザインのアクセシビリティと不便さの感覚を新たに認識するようになった
- これにより、生産プロセス、材料、実用性に対する理解も広がった
商業化の拒否と芸術的立場
- Kamprani は作品の販売要望を頻繁に受けるが、商業化は拒否している
- 「販売を始めたら、アーティストではなく個人事業主になってしまう」と語っている
- 物流や製造管理が煩雑で、小さな記念品の生産は無駄が多いと判断している
- 販売を考え始めると、創作が「何が売れるか」に変質しかねないとも述べている
- その代わり、作品は 教育的ツールとして機能し、機能的デザインの重要性を子どもたちに教えるために活用できる
プロジェクトの継続と個人的変化
- Kamprani は、このプロジェクトが予想以上に長く続いたことに驚きを示している
- 当初は単なる面白さから始まったが、展示やインタビューの依頼が続き、長期プロジェクトへと発展した
- 成功後には日常との乖離や心理的な負担を感じたとも語っている
- 「心地よいときには The Uncomfortable は作れない」と述べ、不快さの中で創造性が発現することを強調している
- 現在は創作と生計のバランスを保ちながら、自由な芸術活動を続けている
1件のコメント
Hacker Newsの反応
AIの存在のせいで創作意欲を失ったという話が興味深かった
まったく時間がないのに、AIを使えばはるかに速くできると分かっていても、使いたくないので結局何もしなくなるということ
彼女の理由は、誰でも簡単にアイデアを画像に変えられるようになったことで、その過程が価値を失ったように感じられるからだと思う
昔の画家が自分で顔料を作る必要がなくなったのは良いことだったが、今では手作業の技術がなくても同じ結果を出せる時代になり、芸術の意味が変わったように思える
自分で画像を作れるが、AIを使えばずっと簡単に似た結果を得られると分かっているので、効率性の誘惑が生まれる
しかしAIを使う過程は満足できるものではなく、結局楽しさが失われる
私もコードを直接書くのが好きだが、今では目的のためではなく、過程そのものを楽しむためにコードを書かなければならない
彼女は単に努力することの楽しさが好きな人なのだ
創作における摩擦は瞑想の過程でもあり、作品が自分の脳から直接出てきた感覚を求めているからだ
私もガンプラを作るのが好きだが、単に完成品が欲しいからではなく、作る過程が楽しいからだ
以前、JSフレームワークが流行ったとき、学びたくなくて避けていたが、結局業界で取り残された経験がある
今はAIが好きというわけではないが、今回は違う行動をしている
会社でAIを使い、プロンプトを研究し、追いつこうと努力している
「AIがあなたを置き換えるのではないが、AIを使える人があなたを置き換えることはある」という言葉を実感している
昔はプリンターを自分で組み立てなければならなかったが、PrusaやBambuのような会社が普及させると、一部は興味を失った
実際、他人が簡単に何かを作れるからといって、自分の楽しみが減るのはおかしなことだ
しかしある人たちは希少性から得られる地位を楽しんでいたので、技術の大衆化がその動機を奪ったのだと思う
見た目にはよくできているようでも、実際には材料選びがめちゃくちゃな製品が多い
たとえばバネが普通の鋼なので、すぐに弾性を失ったり、ステンレスのように見えても実際はメッキした鉄なので錆びたりする
こうした問題は見た目では判別できないので、なおさら厄介だ
縫い針の穴が小さすぎたり、瞬間接着剤がほとんど空だったり、ドライバーの先端が緩くてネジに合わなかったり
基本機能すら果たせない製品が多かった
肉切り包丁の柄が切っている最中に折れたり、梱包テープが箱に貼り付かなかったりしたことさえあった
このプロジェクトは日本の**珍道具(Chindogu)**という概念に似ていると感じた
Chindogu紹介記事を見ると、役に立たないが奇抜な発明品を作る文化だ
それでも物理的な形にすることから来る謙虚さと、「役に立たなさの有用性」がある
デオドラントの形ならなお良いし、傘ネクタイも使ってみたい
Don Normanの『The Design of Everyday Things』の表紙にある**「役に立たないティーポット」**が好きだ
画像リンク
デザインに関心のある人なら必ず読む価値のある本だ
この記事を見てRedditの「最悪の音量調整UI」を思い出した
自分のWebサイトにも自動再生音楽と一緒に入れたくなるほどだ
インタビューでは「AIを使ってこういうデザインを作ったのか」という質問があった
AIが生み出す**「ほぼ合っているがどこかおかしい」**結果に似ているという点が興味深い
単純な変更で完全に役立たずにするこうしたデザインには、むしろ人間の創造性が必要だ
技術が進歩すると、ひとつの過程が分離されて新しい実践領域へと分かれることがよくある
AIはこの変化をはるかに速く、しかも複数分野で同時に引き起こしている
昔も絵の具が商品化されたとき、自分で顔料を作っていた画家たちが戸惑ったように、今も職人精神の価値が揺らいでいる
結果だけを求める人はAIを歓迎するが、過程そのものを楽しんでいた人は喪失感を覚えている
どちらの感情も共存しうる
「悪いユーザー体験を意図的に設計したらどうなるか?」というアイデアは、
Wikipediaの珍道具の記事に由来しているようだ
意図的に不便に作られたデザインとは異なる
彼女の作品は、見た瞬間に「これはひどい」と反応させるユーモアだ
こうしたアイデアは独立して何度も生まれうると思う
彼女の作品の一部はMusée des Arts et Métiersで見られる
私は1985年のPrimrose Center出身の家具デザイナーだ
天板のないテーブル(写真)と
絵を差しておく尖ったテーブル(写真)を作った
そのテーブルに刺さっている絵はこの作品だ
基本的には水平に絵を支える構造物である